東北は山又山を重ねて、琅※[#「※」は「王+干」、406−9]《ろうかん》の玉簾《ぎよくれん》深く夏日の畏《おそ》るべきを遮《さへぎ》りたれば、四面|遊目《ゆうもく》に足りて丘壑《きゆうかく》の富を擅《ほしいまま》にし、林泉の奢《おごり》を窮《きは》め、又有るまじき清福自在の別境なり。
貫一はこの絵を看《み》る如き清穏《せいおん》の風景に値《あ》ひて、かの途上《みちすがら》険《けはし》き巌《いはほ》と峻《さかし》き流との為に幾度《いくたび》か魂《こん》飛び肉銷《にくしよう》して、理《をさ》むる方《かた》無く掻乱《かきみだ》されし胸の内は靄然《あいぜん》として頓《とみ》に和《やはら》ぎ、恍然《こうぜん》として総《すべ》て忘れたり。
彼は以為《おもへ》らく。
誠に好くこそ我は来《き》つれ! なんぞ来《きた》るの甚《はなは》だ遅かりし。山の麗《うるは》しと謂《い》ふも、壌《つち》の堆《うづたか》き者のみ、川の暢《のどけ》しと謂ふも、水の逝《ゆ》くに過ぎざるを、牢《ろう》として抜く可からざる我が半生の痼疾《こしつ》は、争《いか》で壌《つち》と水との医《い》すべき者ならん、と歯牙《しが》に
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