志す方《かた》もあらぬに、生憎《あやにく》降頻《ふりしき》る雨をば、辛《から》くも人の軒などに凌《しの》ぎつつ、足に任せて行くほどに、近頃思立ちて折節《をりふし》通へる碁会所の前に出でければ、ともかくも成らんとて、其処《そこ》に躍入《をどりい》りけり。
客は三組ばかり、各《おのおの》静に窓前の竹の清韻《せいいん》を聴きて相対《あひたい》せる座敷の一間《ひとま》奥に、主《あるじ》は乾魚《ひもの》の如き親仁《おやぢ》の黄なる髯《ひげ》を長く生《はや》したるが、兀然《こつぜん》として独《ひと》り盤を磨《みが》きゐる傍に通りて、彼は先《ま》づ濡《ぬ》れたる衣《きぬ》を炙《あぶ》らんと火鉢《ひばち》に寄りたり。
異《あやし》み問はるるには能《よ》くも答へずして、貫一は余りに不思議なる今日の始末を、その余波《なごり》は今も轟《とどろ》く胸の内に痛《したた》か思回《おもひめぐら》して、又|空《むなし》く神《しん》は傷《いた》み、魂《こん》は驚くといへども、我や怒《いか》る可き、事や哀《あはれ》むべき、或《あるひ》は悲む可きか、恨む可きか、抑《そもそ》も喜ぶ可きか、慰む可きか、彼は全く自ら弁ぜず。
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