とば》を添ふれば、彼も打頷《うちうなづ》きて、
「以来気を着けい、よ」
「へい……へい」
「早う行け、行け」
 やをら彼は起たんとすなり。さては望外なる主従の喜《よろこび》に引易《ひきか》へて、見物の飽気無《あつけな》さは更に望外なりき。彼等は幕の開かぬ芝居に会へる想して、余《あまり》に落着の蛇尾《だび》振はざるを悔みて、はや忙々《いそがはし》き踵《きびす》を回《かへ》すも多かりけれど、又|見栄《みばえ》あるこの場の模様に名残《なごり》を惜みつつ去り敢《あ》へぬもありけり。
 車夫は起ち悩める酔客を扶《たす》けて、履物《はきもの》を拾ひ、鞭《むち》を拾ひて宛行《あてが》へば、主人は帽を清め、ブックを取上げて彼に返し、頭巾を車夫に与へて、懇《ねんごろ》に外套《がいとう》、袴《はかま》の泥を払はしめぬ。免《ゆる》されし罪は消えぬべきも、歴々《まざまざ》と挫傷《すりきず》のその面《おもて》に残れるを見れば、疚《やまし》きに堪へぬ心は、なほ為《な》すべき事あるを吝《をし》みて私《わたくし》せるにあらずやと省られて、彼はさすがに見捨てかねたる人の顔を始は可傷《いたま》しと眺《なが》めたりしに、そ
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