夜の晩《おそ》きに貫一は市《いち》ヶ谷《や》なる立退所《たちのきじよ》を出でて、杖《つゑ》に扶《たす》けられつつ程遠からぬ焼跡を弔へり。
連日風立ち、寒かりしに、この夜は遽《にはか》に緩《ゆる》みて、朧《おぼろ》の月の色も暖《あたたか》に、曇るともなく打霞《うちかす》める町筋は静に眠れり。燻臭《いぶりくさ》き悪気は四辺《あたり》に充満《みちみ》ちて、踏荒されし道は水に※[#「※」は「執/水」、276−1]《しと》り、燼《もえがら》に埋《うづも》れ、焼杭《やけくひ》焼瓦《やけがはら》など所狭く積重ねたる空地《くうち》を、火元とて板囲《いたがこひ》も得為《えせ》ず、それとも分かぬ焼原の狼藉《ろうぜき》として、鰐淵が家居《いへゐ》は全く形を失へるなり。黒焦に削れたる幹《みき》のみ短く残れる一列《ひとつら》の立木の傍《かたはら》に、塊《つちくれ》堆《うづたか》く盛りたるは土蔵の名残《なごり》と踏み行けば、灰燼の熱気は未《いま》だ冷めずして、微《ほのか》に面《おもて》を撲《う》つ。貫一は前杖《まへづゑ》※[#「※」は「てへん+主」、276−5]《つ》いて悵然《ちようぜん》として佇《たたず》めり
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