波織《ふはおり》の蔽膝《ひざかけ》して、提灯《ちようちん》の徽章《しるし》はTの花文字を二個《ふたつ》組合せたるなり。行き行きて車はこの小路の尽頭《はづれ》を北に折れ、稍《やや》広き街《とほり》に出《い》でしを、僅《わづか》に走りて又西に入《い》り、その南側の半程《なかほど》に箕輪《みのわ》と記《しる》したる軒燈《のきラムプ》を掲げて、※[#「※」は「炎+りっとう」、9−2]竹《そぎだけ》を飾れる門構《もんがまへ》の内に挽入《ひきい》れたり。玄関の障子に燈影《ひかげ》の映《さ》しながら、格子《こうし》は鎖固《さしかた》めたるを、車夫は打叩《うちたた》きて、
「頼む、頼む」
 奥の方《かた》なる響動《どよみ》の劇《はげし》きに紛れて、取合はんともせざりければ、二人の車夫は声を合せて訪《おとな》ひつつ、格子戸を連打《つづけうち》にすれば、やがて急足《いそぎあし》の音立てて人は出《い》で来《き》ぬ。
 円髷《まるわげ》に結ひたる四十ばかりの小《ちひさ》く痩《や》せて色白き女の、茶微塵《ちやみじん》の糸織の小袖《こそで》に黒の奉書紬《ほうしよつむぎ》の紋付の羽織着たるは、この家の内儀《ないぎ》
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