《ふつふつ》と薫《くん》じて、はや一銚子《ひとちようし》更《か》へたるに、未《いま》だ狂女の音容《おとづれ》はあらず。お峯は半《なかば》危みつつも幾分の安堵《あんど》の思を弄《もてあそ》び喜ぶ風情《ふぜい》にて、
「気違さんもこの風には弱つたと見えますね。もう毎《いつ》もきつと来るのに来ませんから、今夜は来やしますまい、何ぼ何でもこの風ぢや吹飛されて了《しま》ひませうから。ああ、真《ほん》に天尊様の御利益《ごりやく》があつたのだ」
夫が差せる猪口《ちよく》を受けて、
「お相《あひ》をしませうかね。何は無くともこんな好い心持の時に戴《いただ》くとお美《いし》いものですね。いいえ、さう続けてはとても……まあ、貴方《あなた》。おやおやもう七時廻つたんですよ。そんなら断然《いよいよ》今晩は来ないと極《きま》りましたね。ぢや、戸締《とじまり》を為《さ》して了ひませうか、真《ほん》に今晩のやうな気の霽々《せいせい》した、心《しん》の底から好い心持の事はありませんよ。あの気違さんぢやどんなに寿《いのち》を短《ちぢ》めたか知れはしません。もうこれきり来なくなるやうに天尊様へお願ひ申しませう。はい、戴
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