んと吾目《わがめ》に見ゆるは、納受《のうじゆ》の恵に泄《も》れ、擁護《おうご》の綱も切れ果つるやと、彼は身も世も忘るるばかりに念を籠《こ》め、烟《けむり》を立て、汗を流して神慮を驚かすにぞありける。槍《やり》は降りても必ず来《く》べし、と震摺《おぢおそ》れながら待たれし九日目の例刻になりぬれど、如何《いか》にしたりけん狂女は見えず。鋭く冱返《さえかへ》りたるこの日の寒気は鍼《はり》もて膚《はだへ》に霜を種《う》うらんやうに覚えしめぬ。外には烈風《はげしきかぜ》怒《いか》り号《さけ》びて、樹を鳴し、屋《いへ》を撼《うごか》し、砂を捲《ま》き、礫《こいし》を飛して、曇れる空ならねど吹揚げらるる埃《ほこり》に蔽《おほは》れて、一天|晦《くら》く乱れ、日色《につしよく》黄《き》に濁りて、殊《こと》に物可恐《ものおそろし》き夕暮の気勢《けはひ》なり。
鰐淵が門《かど》の燈《ともし》は硝子《ガラス》を二面まで吹落されて、火は消え、ラムプは覆《くつがへ》りたり。内の燈火《あかし》は常より鮮《あざやか》に主《あるじ》が晩酌の喫台《ちやぶだい》を照し、火鉢《ひばち》に架《か》けたる鍋《なべ》の物は沸々
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