わざ》とは毫《つゆ》も思ひ寄《よす》るにあらざりき。さは謂《い》へ、人の親の切なる情《なさけ》を思へば、実《げ》にさぞと肝に徹《こた》ふる節無《ふしな》きにもあらざるめり。大方かかる筋より人は恨まれて、奇《あやし》き殃《わざはひ》にも遭《あ》ふなればと唯思過《ただおもひすご》されては窮無《きはまりな》き恐怖《おそれ》の募るのみ。
 日に日に狂女の忘れず通ひ来るは、陰ながら我等の命を絶たんが為にて、多時《しばらく》門《かど》に居て動かざるは、その妄執《もうしゆう》の念力《ねんりき》を籠《こ》めて夫婦を呪《のろ》ふにあらずや、とほとほと信ぜらるるまでにお峯が夕暮の心地は譬《たと》へん方無く悩されぬ。されば狂女の門《かど》に在る間は、大御明尊《おおみあかしのみこと》の御前《おんまへ》に打頻《うちしき》り祝詞《のりと》を唱ふるにあらざれば凌《しの》ぐ能《あた》はず。かかる中《うち》にも心に些《ちと》の弛《ゆるみ》あれば、煌々《こうこう》と耀《かがや》き遍《わた》れる御燈《みあかし》の影《かげ》遽《にはか》に晦《くら》み行きて、天尊《てんそん》の御像《みかたち》も朧《おぼろ》に消失《きえう》せな
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