端無《はしな》く人の呼ぶに駭《おどろか》されて、漸《やうや》く慵《ものう》き枕を欹《そばだ》てつ。
愕然《がくぜん》として彼は瞳《ひとみ》を凝《こら》せり。ベッドの傍《かたはら》に立てるは、その怪き夢の中に顕《あらは》れて、終始|相離《あひはな》れざりし主人公その人ならずや。打返し打返し視《み》れども訪来《とひきた》れる満枝に紛《まぎれ》あらざりき。とは謂《い》へ、彼は夢か、あらぬかを疑ひて止まず。さるはその真ならんよりなほ夢の中《うち》なるべきを信ずるの当れるを思へるなり、美しさも常に増して、夢に見るべき姿などのやうに四辺《あたり》も可輝《かがやかし》く、五六歳《いつつむつ》ばかりも若《わかや》ぎて、その人の妹なりやとも見えぬ。まして、六十路《むそぢ》に余れる夫有《つまも》てる身と誰《たれ》かは想ふべき。
髪を台湾銀杏《たいわんいちよう》といふに結びて、飾《かざり》とてはわざと本甲蒔絵《ほんこうまきゑ》の櫛《くし》のみを挿《さ》したり。黒縮緬《くろちりめん》の羽織に夢想裏《むそううら》に光琳風《こうりんふう》の春の野を色入《いろいり》に染めて、納戸縞《なんどじま》の御召の下に濃小
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