堪《た》へずして、鼻目鏡《はなめがね》を取捨てて目を推拭《おしぬぐ》ひつつ猶|咽《むせ》びゐたりしが、
「阿母《おつか》さんにさう言れるから、私は不断は怺《こら》へてゐるのです。今日ばかり存分に言はして下さい。今日言はなかつたら言ふ時は有りませんよ。間のそんな目に遭《あ》つたのは天罰です、この天罰は阿父さんも今に免れんことは知れてゐるから、言ふのなら今、今言はんくらゐなら私はもう一生言ひません」
母はその一念に脅《おびやか》されけんやうにて漫《そぞろ》寒きを覚えたり。洟打去《はなうちか》みて直道は語《ことば》を継ぎぬ。
「然し私《わたし》の仕打も善くはありません、阿父さんの方にも言分は有らうと、それは自分で思つてゐます。阿父さんの家業が気に入らん、意見をしても用ゐない、こんな汚《けが》れた家業を為るのを見てゐるのが可厭《いや》だ、と親を棄てて別居してゐると云ふのは、如何《いか》にも情合の無い話で、実に私も心苦いのです。決して人の子たる道ではない、さぞ不孝者と阿父さん始阿母さんもさう思つてお在《いで》でせう」
「さうは思ひはしないよ。お前の方にも理はあるのだから、さうは思ひはしないけれ
前へ
次へ
全708ページ中282ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
尾崎 紅葉 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング