もの》と思はなければなりません。全く寡《すくな》うございます」
倉皇《あたふた》入来《いりきた》れる内儀は思ひも懸けず富山を見て、
「おや、此方《こちら》にお在《いで》あそばしたのでございますか」
彼は先の程より台所に詰《つめ》きりて、中入《なかいり》の食物の指図《さしづ》などしてゐたるなりき。
「酷《ひど》く負けて迯《に》げて来ました」
「それは好く迯げていらつしやいました」
例の歪《ゆが》める口を窄《すぼ》めて内儀は空々《そらぞら》しく笑ひしが、忽《たちま》ち彼の羽織の紐《ひも》の偏《かたかた》断《ちぎ》れたるを見尤《みとが》めて、環《かん》の失せたりと知るより、慌《あわ》て驚きて起たんとせり、如何《いか》にとなればその環は純金製のものなればなり。富山は事も無げに、
「なあに、宜《よろし》い」
「宜いではございません。純金《きん》では大変でございます」
「なあに、可《い》いと言ふのに」と聞きも訖《をは》らで彼は広間の方《かた》へ出《い》でて行けり。
「時にあれの身分はどうかね」
「さやう、悪い事はございませんが……」
「が、どうしたのさ」
「が、大《たい》した事はございません
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