う。故々《わざわざ》御招《おまねき》申しまして甚《はなは》だ恐入りました。もう彼地《あつち》へは御出陣にならんが宜《よろし》うございます。何もございませんがここで何卒《どうぞ》御寛《ごゆる》り」
「ところがもう一遍行つて見やうかとも思ふの」
「へえ、又いらつしやいますか」
物は言はで打笑《うちゑ》める富山の腮《あぎと》は愈《いよいよ》展《ひろが》れり。早くもその意を得てや破顔《はがん》せる主《あるじ》の目は、薄《すすき》の切疵《きりきず》の如くほとほと有か無きかになりぬ。
「では御意《ぎよい》に召したのが、へえ?」
富山は益《ますます》笑《ゑみ》を湛《ただ》へたり。
「ございましたらう、さうでございませうとも」
「何故《なぜ》な」
「何故も無いものでございます。十目《じゆうもく》の見るところぢやございませんか」
富山は頷《うなづ》きつつ、
「さうだらうね」
「あれは宜《よろし》うございませう」
「一寸《ちよいと》好いね」
「まづその御意《おつもり》でお熱いところをお一盞《ひとつ》。不満家《むづかしや》の貴方《あなた》が一寸好いと有仰《おつしや》る位では、余程《よつぽど》尤物《まれ
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