ほど聞えない。どうしたのか知らんなんて、それは、もう実にお真面目《まじめ》なお顔で、わざと御考へあそばして、仏蘭西《フランス》に居た時には能《よ》く聞えたのだが、日本は気候が違ふから、空気の具合が眼鏡の度に合はない、それで聞えないのだらうと仰せられましたのを、皆本当に致して、一年ばかり釣られてをりましたのでございます」
 その名器を手にし、その耳にせし人を前にせる貴婦人の興を覚ゆることは、殿の悪作劇《あくさげき》を親く睹《み》たらんにも劣らざりき。
「殿様はお面白《おもしろ》い方でゐらつしやいますから、随分そんな事を遊ばしませうね」
「それでもこの二三年はどうも御気分がお勝《すぐ》れ遊ばしませんので、お険《むづかし》いお顔をしてゐらつしやるのでございます」
 書斎に掛けたる半身の画像こそその病根なるべきを知れる貴婦人は、卒《にはか》に空目遣《そらめづかひ》して物の思はしげに、例の底寂《そこさびし》う打湿《うちしめ》りて見えぬ。
 やや有りて彼は徐《しづか》に立ち上りけるが、こ回《たび》は更に邇《ちか》きを眺めんとて双眼鏡を取り直してけり。彼方此方《あなたこなた》に差向くる筒の当所《あて
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