目を奪はれつつ一段踏み失《そこ》ねて、凄《すさまじ》き響の中にあなや僵《たふ》れんと為《し》たり。幸《さいはひ》に怪我《けが》は無かりけれど、彼はなかなか己《おのれ》の怪我などより貴客《きかく》を駭《おどろ》かせし狼藉《ろうぜき》をば、得も忍ばれず満面に慚《は》ぢて、
「どうも飛んだ麁相《そそう》を致しまして……」
「いいえ。貴方本当に何処《どこ》もお傷《いた》めなさりはしませんか」
「いいえ。さぞ吃驚《びつくり》遊ばしたでございませう、御免あそばしまして」
 こ度《たび》は薄氷《はくひよう》を蹈《ふ》む想《おもひ》して一段を昇る時、貴婦人はその帯の解けたるを見て、
「些《ちよつ》とお待ちなさい」
 進寄りて結ばんとするを、心着きし静緒は慌《あわ》て驚きて、
「あれ、恐入《おそれい》ります」
「可《よ》うございますよ。さあ、熟《じつ》として」
「あれ、それでは本当に恐入りますから」
 争ひ得ずして竟《つひ》に貴婦人の手を労《わづらは》せし彼の心は、溢《あふ》るるばかり感謝の情を起して、次いではこの優しさを桜の花の薫《かをり》あらんやうにも覚ゆるなり。彼は女四書《じよししよ》の内訓《ない
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