方《かた》も無く新橋に向へり。
「本当に、貴方、何方へ参りませう」
「私は、何方でも」
「貴方、何時までもそんな事を言つてゐらしつてはきりがございませんから、好い加減に極《き》めやうでは御坐いませんか」
「さやう」
 満枝は彼の心進まざるを暁《さと》れども、勉《つと》めて吾意《わがい》に従はしめんと念《おも》へば、さばかりの無遇《ぶあしらひ》をも甘んじて、
「それでは、貴方、鰻※[#「※」は「魚+麗」、93−2]《うなぎ》は上《あが》りますか」
「鰻※[#「※」は「魚+麗」、93−3]? 遣りますよ」
「鶏肉《とり》と何方が宜《よろし》うございます」
「何方でも」
「余り御挨拶《ごあいさつ》ですね」
「何為《なぜ》ですか」
 この時貫一は始めて満枝の面《おもて》に眼《まなこ》を移せり。百《もも》の媚《こび》を含みて※[#「※」は「目+是」、93−8]《みむか》へし彼の眸《まなじり》は、未《いま》だ言はずして既にその言はんとせる半《なかば》をば語尽《かたりつく》したるべし。彼の為人《ひととなり》を知りて畜生と疎《うと》める貫一も、さすがに艶なりと思ふ心を制し得ざりき。満枝は貝の如き前歯と
前へ 次へ
全708ページ中130ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
尾崎 紅葉 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング