「ぢや見てゐらつしやるのですか。不好《いや》ですよ、馬鹿々々しい! まあ何でも可いから、ともかくも一盃召上ると成さいましよ、ね。唯今《ただいま》直《ぢき》に持つて参りますから、其処《そこ》にゐらつしやいまし」
気軽に走り行きしが、程無く老婢《ろうひ》と共に齎《もたら》せる品々を、見好げに献立して彼の前に陳《なら》ぶれば、さすがに他の老婆子《ろうばし》が寂《さびし》き給仕に義務的|吃飯《きつぱん》を強《し》ひらるるの比にもあらず、やや難捨《すてがた》き心地もして、コップを取挙《とりあぐ》れば、お静は慣れし手元に噴溢《ふきこぼ》るるばかり酌して、
「さあ、呷《ぐう》とそれを召上れ」
貫一はその半《なかば》を尽して、先《ま》づ息《いこ》へり。林檎を剥《む》きゐるお静は、手早く二片《ふたひら》ばかり※[#「※」は「炎+りっとう」、471−2]《そ》ぎて、
「はい、お肴《さかな》を」
「まあ、一盃上げやう」
「まあ、貴方――いいえ、可けませんよ。些《ちつ》とお顔に出るまで二三盃続けて召上れよ。さうすると幾らかお気が霽《は》れますから」
「そんなに飲んだら倒れて了ふ」
「お倒れなすたつて宜《よろし》いぢや御座いませんか。本当に今日は不好《いや》な御顔色でゐらつしやるから、それがかう消えて了ふやうに、奮発して召上りましよ」
彼は覚えず薄笑《うすわらひ》して、
「薬だつてさうは利《き》かんさ」
「どうあそばしたので御座います。何処《どこ》ぞ御体がお悪いのなら、又無理に召上るのは可う御座いませんから」
「体は始終悪いのだから、今更驚きも為んが……ぢや、もう一盃飲まうか」
「へい、お酌。ああ、余《あんま》りお見事ぢや御座いませんか」
「見事でも可かんのかい」
「いいえ、お見事は結構なのですけれど、余《あんま》り又――頂戴……ああ恐入ります」
「いや、考へて見ると、人間と云ふものは不思議な者だ。今まで不見不知《みずしらず》の、実に何の縁も無いお前さん方が、かうして内に来て、狭山君はああして実体《じつてい》の人だし、お前さんは優く世話をしてくれる、私は決して他人のやうな心持は為《せ》んね。それは如何《いか》なる事情が有つてかう成つたにも為よ、那裏《あすこ》で逢《あ》はなければ、何処《どこ》の誰だかお互に分らずに了つた者が、急に一処に成つて、貴方がどうだとか、私《わたくし》がかうだとか、……や、不思議だ! どうか、まあ渝《かは》らず一生かうしてお附合《つきあひ》を為たいと思ふ。けれども私は高利貸だ。世間から鬼か蛇《じや》のやうに謂《いは》れて、この上も無く擯斥《ひんせき》されてゐる高利貸だ。お前さん方もその高利貸の世話に成つてゐられるのは、余り栄《みえ》でも無く、さぞ心苦く思つてゐられるだらう、と私は察してゐる。のみならず、人の生血を搾《しぼ》つてまでも、非道な貨《かね》を殖《こしら》へるのが家業の高利貸が、縁も所因《ゆかり》も無い者に、設《たと》ひ幾らでも、それほど大事の金をおいそれと出して、又体まで引取つて世話を為ると云ふには、何か可恐《おそろし》い下心でもあつて、それもやつぱり慾徳|渾成《ずく》で恩を被《き》せるのだらうと、内心ぢやどんなにも無気味に思つてゐられる事だらう、とそれも私は察してゐる。
さあ、コップを空《あ》けて、返して下さい」
「召上りますの?」
「飲む」
酒気は稍《やや》彼の面《おもて》に上《のぼ》れり。
「お静さんはどう思ふね」
「私《わたくし》共は固《もと》より命の無いところを、貴方のお蔭ばかりで助《たすか》つてをりますので御座いますから、私共の体は貴方の物も同然、御用に立ちます事なら、どんなにでも遊《あそば》してお使ひ下さいまし。狭山もそんなに申してをります」
「忝《かたじけ》ない。然し、私は天引三割の三月縛《みつきしばり》と云ふ躍利《をどり》を貸して、暴《あら》い稼《かせぎ》を為てゐるのだから、何も人に恩などを被せて、それを種に銭儲《かねまうけ》を為るやうな、廻り迂《くど》い事を為る必要は、まあ無いのだ。だから、どうぞ決《け》してそんな懸念《けねん》は為て下さるな。又私の了簡では、元々|些《ほん》の酔興で二人の世話を為るのだから、究竟《つまり》そちらの身さへ立つたら、それで私の念は届いたので、その念が届いたら、もう剰銭《つり》を貰《もら》はうとは思はんのだ。と言つたらば、情無い事には、私の家業が家業だから、鬼が念仏でも言ふやうに、お前さん方は愈《いよい》よ怪く思ふかも知れん――いや、きつとさう思つてゐられるには違無い。残念なものだ!」
彼は長吁《ちようう》して、
「それも悪木《あくぼく》の蔭に居るからだ!」
「貴方、決《け》して私共がそんな事を夢にだつて思ひは致しません。けれども、そんなに有仰《おつしや》います
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