なら、何か私共の致しました事がお気に障《さは》りましたので御座いませう。かう云ふ何《なんに》も存じません粗才者《ぞんざいもの》の事で御座いますから」
「いいや、……」
「いいえ、私は始終言はれてをります狭山に済みませんですから、どうぞ行届きませんところは」
「いいや、さう云ふ意味で言つたのではない。今のは私の愚痴だから、さう気に懸けてくれては甚《はなは》だ困る」
「ついにそんな事を有仰《おつしや》つた事の無い貴方が、今日に限つて今のやうに有仰ると、日頃私共に御不足がお有《あん》なすつて」
「いや、悪かつた、私が悪かつた。なかなか不足どころか、お前さん方が陰陽無《かげひなたな》く実に善く気を着けて、親身のやうに世話してくれるのを、私は何より嬉く思つてゐる。往日《いつか》話した通り、私は身寄も友達も無いと謂つて可いくらゐの独法師《ひとりぼつち》の体だから、気分が悪くても、誰《たれ》一人薬を飲めと言つてくれる者は無し、何かに就けてそれは心細いのだ。さう云ふ私に、鬱《ふさ》いでゐるから酒でも飲めと、無理にも勧めてくれるその深切は、枯木に花が咲くやうな心持が、いえ、嘘《うそ》でも何でも無い。さあ、嘘でない信《しるし》に一献差《ひとつさ》すから、その積で受けてもらはう」
「はあ、是非戴かして下さいまし」
「ああ、もうこれには無い」
「無ければ嘘なので御座いませう」
「未《ま》だ半打《はんダース》の上《うへ》有るから、あれを皆注いで了はう」
「可うございますね」
貫一が老婢を喚ぶ時、お静は逸早《いちはや》く起ち行けり。
(二) の 三
話頭《わとう》は酒を更《あらた》むるとともに転じて、
「それはまあ考へて見れば、随分主人の面《つら》でも、友達の面でも、踏躙《ふみにじ》つて、取る事に於ては見界《みさかひ》なしの高利貸が、如何《いか》に虫の居所が善かつたからと云つて、人の難儀――には附込まうとも――それを見かねる風ぢやないのが、何であんな格《がら》にも無い気前を見せたのかと、これは不審を立てられるのが当然《あたりまへ》だ。
けれども、ねえ、いづれその訳が解る日も有らうし、又私といふ者が、どう云ふ人間であるかと云ふ事も、今に必ず解らうと思ふ。それが解りさへしたら、この上人の十人や二十人、私の有金の有たけは、助けやうが、恵まうが、少《すこし》も怪む事は無いのだ。かう云ふと何か酷《ひど》く偉がるやうで、聞辛《ききづら》いか知らんけれど、これは心易立《こころやすだて》に、全く奥底の無いところをお話するのだ。
いやさう考込まれては困る。陰気に成つて可かんから、話はもう罷《やめ》に為《せ》う。さうしてもつと飲み給へ、さあ」
「いいえ、どうぞお話をお聞せなすつて下さいまし」
「肴《さかな》に成るやうな話なら可いがね」
「始終狭山ともさう申してをるので御座いますけれど、旦那様は御病身と云ふ程でも無いやうにお身受申しますのに、いつもかう御元気《ごげんき》が無くて、お険《むづかし》いお顔面《かほつき》ばかりなすつてゐらつしやるのは、どう云ふものかしらんと、陰ながら御心配申してをるので御座いますが」
「これでお前さん方が来てくれて、内が賑《にぎや》かに成つただけ、私も旧《もと》から見ると余程《よつぽど》元気には成つたのだ」
「でもそれより御元気がお有《あん》なさらなかつたら、まあどんなでせう」
「死んでゐるやうな者さ」
「どうあそばしたので御座いますね」
「やはり病気さ」
「どう云ふ御病気なので」
「鬱《ふさ》ぐのが病気で困るよ」
「どう為てさうお鬱ぎあそばすので御座います」
貫一は自ら嘲《あざけ》りて苦しげに哂《わら》へり。
「究竟《つまり》病気の所為《せゐ》なのだね」
「ですからどう云ふ御病気なのですよ」
「どうも鬱ぐのだ」
「解らないぢや御座いませんか! 鬱ぐのが病気だと有仰《おつしや》るから、どう為てお鬱ぎ遊《あそば》すのですと申せば、病気で鬱ぐのだつて、それぢや何処《どこ》まで行つたつて、同じ事ぢや御座いませんか」
「うむ、さうだ」
「うむ、さうだぢやありません、緊《しつか》りなさいましよ」
「ああ、もう酔つて来た」
「あれ、未だお酔ひに成つては可けません。お横に成ると御寐《おやすみ》に成るから、お起きなすつてゐらつしやいまし。さあ、貴方」
お静は寄《よ》りて、彼の肘杖《ひぢづゑ》に横《よこた》はれる背後《うしろ》より扶起《たすけおこ》せば、為《せ》ん無げに柱に倚《よ》りて、女の方を見返りつつ、
「ここを富山|唯継《ただつぐ》に見せて遣りたい!」
「ああ、舎《よ》して下さいまし! 名を聞いても慄然《ぞつ》とするのですから」
「名を聞いても慄然《ぞつ》とする? さう、大きにさうだ。けれど、又考へて見れば、あれに罪が有る訳でも無いの
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