なり。
「勿論さう無けりや成らん事! それが女の道と謂ふもので、さう有るべきです、さう有るべき事です。今日《こんにち》のこの軽薄|極《きはま》つた世の中に、とてもそんな心掛のある人間は、私は決して在るものではないと念つてをつた。で、もし在つたらば、どのくらゐ嬉からうと、さう念つてをつたのです。私は実に嬉い! 今夜のやうに感じた事は有りません。私はこの通泣いてゐる――涙が出るほど嬉いのです。私は人事《ひとごと》とは思はん、人事とは思はん訳が有るので、別して深く感じたのです」

 かく言ひて、貫一は忙々《いそがはし》く鼻洟《はな》打※[#「※」は「てへん+鼻」、451−13]《うちか》みつ。
「ふむ、それで富山はどうしました」
「来る度《たび》に何のかのと申しますのを、体好《ていよ》く辞《ことわ》るんで御座いますけれど、もう※[#「※」は「勞/心」、451−15]《うるさ》く来ちや、一頻《ひとつきり》なんぞは毎日|揚詰《あげづめ》に為れるんで、私はふつふつ不好《いや》なんで御座います。それに、あの人があれで大の男自慢で、さうして独《ひとり》で利巧ぶつて、可恐《おつそろし》い意気がりで、二言目《ふたことめ》には金々と、金の事さへ言へば人は難有《ありがた》がるものかと思つて、俺がかうと思《おも》や千円出すとか、ここへ一万円積んだらどうするとか、始終そんな有余るやうな事ばかり言ふのが癖だもんですから、衆《みんな》が『御威光』と云ふ仇名《あだな》を附けて了つて、何処へ行つたつて気障《きざ》がられてゐる事は、そりや太甚《ひど》いんで御座います」
「ああ、さうですか」
「そんな風なんですから、体好く辞つたくらゐぢや、なかなか感じは為ませんので、可《い》けもしない事を不相変《あひかはらず》執煩《しつくど》く、何だかだ言つてをりましたけれど、這箇《こつち》も剛情で思ふやうに行かないもんですから、了局《しまひ》には手を易《か》へて、内のお袋へ親談《ぢかだん》をして、内々話は出来たんで御座んせう。どうもそんなやうな様子で、お袋は全で気違のやうに成つて、さあ、私を責めて責めて、もう箸《はし》の上下《あげおろし》には言れますし、狭山と切れろ切れろの聒《やかまし》く成りましたのも、それからなので、私は辛《つら》さは辛し、熟《つくづ》くこんな家業は為る者ぢやないと、何《なんに》も解らずに面白可笑《おもしろをかし》く暮してゐた夢も全く覚めて、考へれば考へるほど、自分の身が余《あんま》りつまらなくて、もうどうしたら可いんだらう、と鬱《ふさ》ぎ切つてゐる矢先へ、今度は身請と来たんで御座います」
「うむ、身請――けれども、貴方を別にどう為たと云ふ事も無くて、直《すぐ》に身請と云ふのですか」
「さうなので」
「変な奴な! さう云ふ身請の為方《しかた》が、然し、有りますか」
「まあ御座いませんです」
「さうでせう。それで、身請をして他《ほか》へ囲《かこ》つて置かうとでも云ふのですか」
「はい、これまで色々な事を申しても、私が聴きませんもんで、末始終気楽に暮せるやうにして遣つたら、言分は無からうと云つたやうな訳で、まあ身請と出て来たんで。何ですか、今の妻君は、あれはどうだから、かう為るとか、ああ為るとか、好いやうな嬉《うれし》がらせを言つちやをりましたけれど」
 眉《まゆ》を昂《あ》げたる貫一、なぞ彼の心の裏《うち》に震ふものあらざらんや。
「妻君に就いてどう云ふ話が有るのですか」
「何んですか知りませんが、あの人の言ふんでは、その妻君は、始終寐てゐるも同様の病人で、小供は無し、用には立たず、有つても無いも同然だから、その内に隠居でもさせて、私を内へ入れてやるからと、まあさう云つたやうな口気《くちぶり》なんで御座います」
「さうして、それは事実なのですか、妻君を隠居させるなどと云ふのは」
「随分ちやらつぽこ[#「ちやらつぽこ」に傍点]を言ふ人なんですから、なかなか信《あて》にはなりは致しませんが、妻君の病身の事や、そんなこんなで余《あんま》り内の面白くないのは、どうも全くさうらしいんで御座んす」
「ははあ」
 彼は遽《にはか》に何をや打案ずらん、夢むる如き目を放ちて、
「折合が悪いですか!……病身ですか!……隠居をさせるのですか!……ああ……さうですか!」
 宮の悔、宮の恨、宮の歎《なげき》、宮の悲《かなしみ》、宮の苦《くるしみ》、宮の愁《うれひ》、宮が心の疾《やまひ》、宮が身の不幸、噫《ああ》、竟《つひ》にこれ宮が一生の惨禍! 彼の思は今|将《は》たこの憐《あはれ》むに堪へたる宮が薄命の影を追ひて移るなりき。
 貫一はかの生ける宮よりも、この死なんと為る女の幾許《いかばかり》幸《さいはひ》にかつ愚ならざるかを思ひて、又|躬《みづから》の、先には己《おのれ》の愛する者を拯
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