」
手を取りて引けば、振釈《ふりほど》き、
「ええ、もう貴方は」
「お※[#「※」は「勞/心」、379−9]《うるさ》いでせう」
「勿論《もちろん》」
「私|向後《これから》もつと、もつともつと※[#「※」は「勞/心」、379−11]くして上げるのです。さあ、貴方、今何と有仰《おつしや》つたので御座います、浅膚《あさはか》な邪推ですつて? 貴方こそも少し気を着けてお口をお利《き》き遊ばせな、貴方も男子でゐらつしやるなら、何為《なぜ》立派に、その通だ。情婦《をんな》が有るのがどうしたと、かう打付《ぶつつ》けて有仰らんのです。間さん、私貴方に向つてそんな事をかれこれ申す権利は無い女なので御座いますよ。幾多《いくら》さう云ふ権利を有ちたくても、有つ事が出来ずにゐるので御座います。それに、何も私の前を憚《はばか》つて、さう向《むき》に成つてお隠し遊ばすには当らんでは御座いませんか。
私実を申しませうか、箇様《かよう》なので御座います。貴方が余所外《よそほか》に未だ何百人愛してゐらつしやる方《かた》が有りませうとも、それで愛相《あいそ》を尽《つか》して、貴方の事を思切るやうな、私そんな浮気な了簡《りようけん》ではないのです。又貴方の御迷惑に成る秘密を洩《もら》しましたところで、※[#「※」は「りっしんべん+(篋−竹)」、380−2]《かな》はない願が※[#「※」は「りっしんべん+(篋−竹)」]ふ訳ではないので御座いませう。どう思召してゐらつしやるか存じませんけれど、私それ程|卑怯《ひきよう》な女ではない積《つもり》で御座います。
世間へ吹聴して貴方を困らせるなどと申したのは、あれは些《ほん》のその場の憎まれ口で、私|決《け》してそんな心は微塵《みじん》も無いので御座いますから、どうかそのお積で、お心持を悪く遊ばしませんやうに。つい口が過ぎましたのですから、御勘弁遊ばしまして。私この通お詫《わび》を致します」
満枝は惜まず身を下《くだ》して、彼の前に頭《かしら》を低《さ》ぐる可憐《しをら》しさよ。貫一は如何《いか》にとも為《す》る能はずして、窃《ひそか》に首《かうべ》を掻《か》いたり。
「就《つ》きましては、私今から改めて折入つた御願が有るので御座いますが貴方も従来《これまで》の貴方ではなしに、十分人情を解してゐらつしやる間さんとして宣告を下して戴きたいので御座います。そのお辞《ことば》次第で、私もう断然|何方《どちら》に致しても了簡を極めて了ひますですから、間さん、貴方も庶《どう》か歯に衣《きぬ》を着せずに、お心に在る通りをそのまま有仰つて下さいまし。宜《よろし》う御座いますか。
今更新く申上げませんでも、私の心は奥底まで見通しに貴方は御存《ごぞんじ》でゐらつしやるのです。従来《これまで》も随分|絮《くど》く申上げましたけれど、貴方は一図に私をお嫌《きら》ひ遊ばして、些《ちよつと》でも私の申す事は取上げては下さらんのです――さやうで御座いませう。貴方からそんなに嫌《きら》はれてゐるのですから、私もさう何時まで好い耻《はぢ》を掻かずとも、早く立派に断念して了へば宜《よ》いのです。私さう申すと何で御座いますけれど、これでも女子《をんな》にしては極未練の無い方で、手短《てみじか》に一か八《ばち》か決して了ふ側《がは》なので御座います。それがこの事ばかりは実に我ながら何為《なぜ》かう意気地が無からうと思ふ程、……これが迷つたと申すので御座いませう。自分では物に迷つた事と云ふは無い積の私、それが貴方の事ばかりには全く迷ひました。
ですから、唯その胸の中《うち》だけを貴方に汲んで戴けば、私それで本望なので御座います。これ程に執心致してをる者を、徹頭徹尾貴方がお嫌ひ遊ばすと云ふのは、能く能くの因果で、究竟《つまり》貴方と私とは性が合はんので御座いませうから、それはもう致方《いたしかた》も有りませんが、そんなに為《さ》れてまでもやつぱりかうして慕つてゐるとは、如何《いか》にも不敏《ふびん》な者だと、設《たと》ひその当人はお気に召しませんでも、その心情はお察し遊ばしても宜いでは御座いませんか。決してそれをお察し遊ばす事の出来ない貴方ではないと云ふ事は、私今朝の事実で十分確めてをります。
御自分が恋《こひし》く思召すのも、人が恋いのも、恋いに差《かはり》は無いで御座いませう。増《ま》して、貴方、片思《かたおもひ》に思つてゐる者の心の中はどんなに切ないでせうか、間さん、私貴方を殺して了ひたいと申したのは無理で御座いますか。こんな不束《ふつつか》な者でも、同じに生れた人間|一人《いちにん》が、貴方の為には全《まる》で奴隷《どれい》のやうに成つて、しかも今貴方のお辞《ことば》を一言《ひとこと》聞きさへ致せば、それで死んでも惜くないとまでも思込んでゐ
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