らん。
 して見りや、始には富山が為に間を欺き、今又間の為に貴方《あなた》は富山を欺くんじや。一人ならず二人欺くんじや! 一方には悔悟して、それが為に又一方に罪を犯したら、折角の悔悟の効は没《なくな》つて了ふ」
「そんな事はかまひません!」
 無慙《むざん》に唇《くちびる》を咬《か》みて、宮は抑へ難くも激せるなり。
「かまはんぢや可かん」
「いいえ、かまひません!」
「そりや可かん!」
「私《わたくし》はもうそんな事はかまひませんのです。私の体はどんなになりませうとも、疾《とう》から棄ててをるので御座いますから、唯もう一度貫一さんにお目に掛つて、この気の済むほど謝りさへ致したら、その場でもつて私は死にましても本望なのですから、富山の事などは……不如《いつそ》さうして死んで了ひたいので御座います」
「それそれさう云ふ無考《むかんがへ》な、訳の解らん人に僕は与《くみ》することは出来んと謂ふんじや。一体さうした貴方は了簡《りようけん》ぢやからして、始に間をも棄てたんじや。不埓《ふらち》です! 人の妻たる身で夫を欺いて、それでかまはんとは何事ですか。そんな貴方が了簡であつて見りや、僕は寧《むし》ろ富山を不憫《ふびん》に思ふです、貴方のやうな不貞不義の妻を有つた富山その人の不幸を愍《あはれ》まんけりやならん、いや、愍む、貴方よりは富山に僕は同情を表する、愈《いよい》よ憎むべきは貴方じや」
 四途乱《しどろ》に湿《うるほ》へる宮の目は焚《も》ゆらんやうに耀《かがや》けり。
「さう有仰《おつしや》つたら、私はどうして悔悟したら宜《よろし》いので御座いませう。荒尾さん、どうぞ助けると思召《おぼしめ》してお誨《をし》へなすつて下さいまし」
「僕には誨へられんで、貴方がまあ能《よ》う考へて御覧なさい」
「三年も四年も前から一日でもその事を考へません日と云つたら無いのでございます。それが為に始終|悒々《ぶらぶら》と全《まる》で疾《わづら》つてをるやうな気分で、噫《ああ》もうこんななら、いつそ死んで了《しま》はう、と熟《つくづ》くさうは思ひながら、唯《たつた》もう一目、一目で可うございますから貫一《かんいつ》さんに逢ひませんでは、どうも死ぬにも死なれないので御座います」
「まあ能う考へて御覧なさい」
「荒尾さん、貴方それでは余《あんま》りでございますわ」
 独《ひとり》に余る心細さに、宮は男の袂《たもと》を執りて泣きぬ。理切《ことわりせ》めて荒尾もその手を払ひかねつつ、吾ならぬ愁に胸塞《むねふさが》れて、実《げ》にもと覚ゆる宮が衰容《やつれすがた》に眼《まなこ》を凝《こら》しゐたり。
「荒尾さん、こんなに思つて私は悔悟してをるのぢやございませんか、昔の宮だと思召して頼《たのみ》に成つて下さいまし。どうぞ、荒尾さん、どうぞ、さあ、お誨《をし》へなすつて下さいまし」
 涙に昏《く》れてその語《ことば》は能くも聞えず、階子下《はしごした》の物音は膳運《ぜんはこ》び出《い》づるなるべし。
 果して人の入来《いりき》て、夕餉《ゆふげ》の設《まうけ》すとて少時《しばし》紛《まぎら》されし後、二人は謂《い》ふべからざる佗《わびし》き無言の中に相対《あひたい》するのみなりしを、荒尾は始て高く咳《しはぶ》きつ。
「貴方の言るる事は能《よ》う解つてをる、決して無理とは思はんです。如何《いか》にも貴方に誨へて上げたい、誨へて貴方の身の立つやうな処置で有るなら、誨へて上げんぢやないです。けれどもじや、それが誨へて上げられんのは、僕が貴方であつたらかう為ると云ふ考量《かんがへ》に止《とどま》るので……いや、いや、そりや言《いは》れん。言うて善い事なら言ひます、人に対して言ふべき事でない、况《いはん》や誨ふべき事ではない、止《た》だ僕一箇の了簡として肚《はら》の中に思うたまでの事、究竟《つまり》荒尾的空想に過ぎんのぢやから、空想を誨へて人を誤つてはどうもならんから、僕は何も言はんので、言はんぢやない、実際言得んのじや、然し猶能《なほよ》う考へて見て、貴方に誨へらるる方法を見出《みいだ》したら、更にお目に掛つて申上げやう。折が有つたら又お目に掛ります。は、僕の居住《すまひ》? 居住は、まあ言はん方が可い、蜑《あま》が子《こ》なれば宿も定めずじや。言うても差支《さしつかへ》は無いけれど、貴方に押掛けらるると困るから、まあ言はん。は、如何《いか》にも、こんな態《なり》をしてをるので、貴方は吃驚《びつくり》なすつたか、さうでせう。自分にも驚いてをるのぢやけれどどうも為方が無い。僕の身の上に就ては段々子細が有るですとも、それもお話したいけれど、又この次に。
 酒は余り飲むな? はあ、今日のやうに酔うた事は希《まれ》です。忝《かたじけな》い、折角の御忠告ぢやから今後は宜《よろし》い、気を着
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