を作《な》して直行を打見遣《うちみや》りつつ、その面《おもて》を引廻《ひきめぐら》して、やがて非《あら》ぬ方《かた》を目戍《まも》りたり。
「いや、いや、な、決《け》して、そんな訳ぢや……」
「余《あんま》りな御挨拶で! 女だと思召《おぼしめ》して有仰《おつしや》るのかは存じませんが、それまでのお指図《さしづ》は受けませんで宜《よろし》うございます」
「いや、そんなに悪う取られては甚《はなは》だ困る、畢竟《ひつきよう》貴方《あんた》の為を思ひますじやに因《よ》つて……」
「何と有仰います。お見舞に出ますのが、何で私《わたくし》の不為《ふため》になるのでございませう」
「それにお心着《こころづき》が無い?」
 その能く用ゐる微笑を弄《ろう》して、直行は巧《たくみ》に温顔を作れるなり。
 満枝は稍《やや》急立《せきた》ちぬ。
「ございません」
「それは、お若いでさう有らう。甚だ失敬ながら、すいぢや申して見やう。な。貴方もお若けりや間も若い。若い男の所へ若い女子《をなご》が度々|出入《でいり》したら、そんな事は無うても、人がかれこれ言ひ易《やす》い、可《え》えですか、そしたら、間はとにかくじや、赤樫様《あかがしさん》と云ふ者のある貴方の躯《からだ》に疵《きず》が付く。そりや、不為ぢやありますまいか、ああ」
 陰には己《おのれ》自ら更に甚《はなはだし》き不為を強《し》ひながら、人の口といふもののかくまでに重宝なるが可笑《をか》し、と満枝は思ひつつも、
「それは御深切に難有《ありがた》う存じます。私はとにかく、間さんはこれからお美《うつくし》い御妻君をお持ち遊ばす大事のお躯《からだ》でゐらつしやるのを、私のやうな者の為に御迷惑遊ばすやうな事が御座いましては何とも済みませんですから、私|自今《これから》慎《つつし》みますでございます」
「これは太《えら》い失敬なことを申しましたに、早速お用ゐなさつて難有い。然し、間も貴方のやうな方と嘘《うそ》にもかれこれ言《いは》るるんぢやから、どんなにも嬉《うれし》いぢやらう、私《わし》のやうな老人ぢやつたら、死ぬほどの病気したて、赤樫さんは訪ねても下さりや為《す》まいにな」
 貫一は苦々しさに聞かざる為《まね》してゐたり。
「そんな事が有るものでございますか、お見舞に上りますとも」
「さやうかな。然し、こんなに度々来ては下さりやすまい」
「それこそ、御妻君が在《ゐら》つしやるのですから、余り頻繁《しげしげ》上りますと……」
 後は得言はで打笑める目元の媚《こび》、ハンカチイフを口蔽《くちおほひ》にしたる羞含《はぢがま》しさなど、直行はふと目を奪はれて、飽かず覚ゆるなりき。
「はッ、はッ、はッ、すぢや細君が無いで、ここへは安心してお出《いで》かな。私《わし》は赤樫さんの処へ行つて言ひますぞ」
「はい、有仰《おつしや》つて下さいまし。私《わたくし》此方《こなた》へ度々お見舞に出ますことは、宅でも存じてをるのでございますから、唯今も貴方《あなた》から御注意を受けたのでございますが、私も用を抱へてをる体でかうして上りますのは、お見舞に出なければ済まないと考へまする訳がございますからで、その実、上りますれば、間さんは却《かへ》つて私の伺ふのを懊悩《うるさ》く思召《おぼしめ》してゐらつしやるのですから、それは私のやうな者が余り参つてはお目障《めざはり》か知れませんけれど、外の事ではなし、お見舞に上るのでございますから、そんなに作《なさ》らなくても宜《よろし》いではございませんか。
 然し、それでも私気に懸つて、かうして上るのは、でございます、宅《たく》へお出《いで》になつた御帰途《おかへりみち》にこの御怪我《おけが》なんでございませう。それに、未《ま》だ私済みません事は、あの時大通の方をお帰りあそばすと有仰つたのを、津守坂《つのかみざか》へお出《いで》なさる方がお近いとさう申してお勧め申すと、その途《みち》でこの御災難でございませう。で私考へるほど申訳が無くて、宅でも大相気に致して、勉めてお見舞に出なければ済まないと申すので、その心持で毎度上るのでございますから、唯今のやうな御忠告を伺ひますと、私実に心外なのでございます。そんなにして上れば、間さんは間さんでお喜《よろこび》が無いのでございませう」
 彼はいと辛《つら》しとやうに、恨《うらめ》しとやうに、さては悲しとやうにも直行を視《み》るなりけり。直行は又その辛し、恨し、悲しとやうの情に堪へざらんとする満枝が顔をば、窃《ひそか》に金壺眼《かなつぼまなこ》の一角を溶《とろか》しつつ眺入《ながめい》るにぞありける。
「さやうかな。如何《いか》さま、それで善う解りましたじや。太《えら》い御深切な事で、間もさぞ満足ぢやらうと思ひまする。又|私《わし》からも、そりや厚うお
前へ 次へ
全177ページ中87ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
尾崎 紅葉 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング