の様子は知れないの?」
「ああ」
「些《ちつと》も?」
「ああ」
「どうしてゐると云ふやうな話も?」
「ああ」
かく纔《わづか》に応ふるのみにて、母は自ら湧《わか》せる万感の渦の裏《うち》に陥りてぞゐたる。
「さう? 阿父《おとつ》さんは内証で知つてお在《いで》ぢやなくて?」
「いいえ、そんな事は無いよ。何処で逢つたのだえ」
宮はその梗概《あらまし》を語れり。聴ゐる母は、彼の事無くその場を遁《のが》れ得てし始末を詳《つまびら》かにするを俟《ま》ちて、始めて重荷を下したるやうに※[#「※」は「口+孛」、227−1]《ほ》と息を咆《つ》きぬ。実《げ》に彼は熱海の梅園にて膩汗《あぶらあせ》を搾《しぼ》られし次手《ついで》悪さを思合せて、憂き目を重ねし宮が不幸を、不愍《ふびん》とも、惨《いぢら》しとも、今更に親心を傷《いた》むるなりけり。されども過ぎしその事よりは、為に宮が前途に一大|障礙《しようげ》の或《あるひ》は来《きた》るべきを案じて、母はなかなか心穏《こころおだやか》ならず、
「さうして貫一はどうしたえ」
「お互に知らん顔をして別れて了つたけれど……」
「ああそれから?」
「それきりなのだけれど、私は気になつてね。それも出世して立派になつてゐるのなら、さうも思はないけれど、つまらない風采《なり》をして、何だか大変|羸《やつ》れて、私も極《きまり》が悪かつたから、能くは見なかつたけれど、気の毒のやうに身窄《みすぼらし》い様子だつたわ。それに、聞けばね、番町の方の鰐淵《わにぶち》とかいふ、地面や家作なんぞの世話をしてゐる内に使はれて、やつぱり其処《そこ》に居るらしいのだから、好い事は無いのでせう、ああして子供の内から一処《いつしよ》に居た人が、あんなになつてゐるかと思ふと、昔の事を考へ出して、私は何だか情無くなつて……」
彼は襦袢《じゆばん》の袖《そで》の端《はし》に窃《そ》と※[#「※」は「目+匡」、227−14]《まぶた》を※[#「※」は「沙/手」、227−14]《す》りて、
「好い心持はしないわ、ねえ」
「へええ、そんなになつてゐるのかね」
母の顔色も異《あやし》き寒さにや襲はるると見えぬ。
「それまでだつて、憶出《おもひだ》さない事は無いけれど、去年逢つてからは、毎日のやうに気になつて、可厭《いや》な夢なんぞを度々《たびたび》見るの。阿父《おとつ》さんや、阿母《おつか》さんに会ふ度に、今度は話さう、今度は話さうと思ひながら、私の口からは何と無く話し難《にく》いやうで、実は今まで言はずにゐたのだけれど、その事が初中終《しよつちゆう》苦になる所為《せゐ》で気を傷《いた》めるから体にも障《さは》るのぢやないかと、さう想ふのです」
思凝《おもひこら》せるやうに母は或方を見据ゑつつ、言《ことば》は無くて頷《うなづ》きゐたり。
「それで、私は阿母さんに相談して、貫一さんをどうかして上げたいの――あの時にそんな話も有つたのでせう。さうして依旧《やつぱり》鴫沢《しぎさわ》の跡は貫一さんに取《とら》して下さいよ、それでなくては私の気が済まないから。今までは行方《ゆきがた》が知れなかつたから為方がないけれど、聞合せれば直《ぢき》に分るのだから、それを抛《はふ》つて措《お》いちや此方《こつち》が悪いから、阿父さんにでも会つて貰《もら》つて、何とか話を付けるやうにして下さいな。さうして従来通《これまでどほり》に内で世話をして、どんなにもあの人の目的を達しさして、立派に吾家《うち》の跡を取して下さい。私はさうしたら兄弟の盃《さかづき》をして、何処までも生家《さと》の兄さんで、末始終力になつて欲いわ」
宮がこの言《ことば》は決して内に自ら欺き、又敢て外に他《ひと》を欺くにはあらざりき。影とも儚《はかな》く隔《へだて》の関の遠き恋人として余所《よそ》に朽さんより、近き他人の前に己を殺さんぞ、同く受くべき苦痛ならば、その忍び易きに就かんと冀《こひねが》へるなり。
「それはさうでもあらうけれど、随分考へ物だよ。あのひとの事なら、内でも時々話が出て、何処にどうしてゐるかしらんつて、案じないぢやないけれど、阿父さんも能《よ》くお言ひのさ、如何《いか》に何だつて、余り貫一の仕打が憎いつて。成程それは、お前との約束ね、それを反古《ほご》にしたと云ふので、齢《とし》の若いものの事だから腹も立たう、立たうけれど、お前自分の身の上も些《ちつと》は考へて見るが可いわね。子供の内からああして世話になつて、全く内のお蔭でともかくもあれだけにもなつたのぢやないか、その恩も有れば、義理も有るのだらう。そこ所《どこ》を些《ちつ》と考へたら、あれぎり家出をして了ふなんて、あんなまあ面抵《つらあて》がましい仕打振をするつてが有るものかね。
それぢやあの約束を反古にして、も
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