にやう》は知れたる事に候へば、外に私の願の障《さはり》とも相成不申《あひなりまをさず》やと、始終心に懸り居り申候《まをしさふらふ》。
 思へば、人の申候ほど死ぬる事は可恐《おそろし》きものに無御座候《ござなくさふらふ》。私は今が今|此儘《このまま》に息引取り候はば、何よりの仕合《しあはせ》と存参《ぞんじまゐ》らせ候。唯後《ただあと》に遺《のこ》り候親達の歎《なげき》を思ひ、又我身生れ効《がひ》も無く此世の縁薄く、かやうに今在る形も直《ぢき》に消えて、此筆《このふで》、此硯《このすずり》、此指環、此燈《このあかり》も此居宅《このすまひ》も、此夜も此夏も、此の蚊の声も、四囲《あたり》の者は皆永く残り候に、私|独《ひと》り亡《な》きものに相成候て、人には草花の枯れたるほどにも思はれ候はぬ儚《はかな》さなどを考へ候へば、返す返す情無く相成候て、心ならぬ未練も出《い》で申候《まをしさふらふ》。



底本:「金色夜叉」新潮文庫、新潮社
   1969(昭和44)年11月10日 第1刷発行
   1998(平成10)年1月15日 第39刷発行
入力:柴田卓治
校正:かとうかおり
2000年2月23日公開
2003年11月7日修正
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