閉ぢ、気疲劇《きづかれはげし》く、何を致候も大儀《たいぎ》にて、別《わ》けて人に会ひ候が※[#「※」は「勞/心」、482−8]《うるさ》く、誰《たれ》にも一切《いつせつ》口《くち》を利《き》き不申《まをさず》、唯独《ただひと》り引籠《ひきこも》り居り候て、空《むなし》く時の経《た》ち候中《さふらふうち》に、此命《このいのち》の絶えず些《ちと》づつ弱り候て、最期《さいご》に近く相成候が自《おのづ》から知れ候やうにも覚《おぼ》え申候《まをしさふらふ》。
 夜《よ》に入《い》り候ては又気分変り、胸の内|俄《にはか》に冱々《さえざえ》と相成《あひなり》、なかなか眠《ねぶ》り居り候空は無之《これなく》、かかる折に人は如何やうの事を考へ候ものと思召被成《おぼしめしなされ》候や、又其人私に候はば何と可有之候《これあるべくさふらふ》や、今更申上候迄にも御座候はねば、何卒《なにとぞ》宜《よろし》く御判《おんはん》じ被遊度《あそばされたく》、夜一夜《よひとよ》其事のみ思続け候て、毎夜寝もせず明しまゐらせ候。
 さりながら、何程思続け候とても、水を覓《もと》めて逾《いよい》よ焔《ほのほ》に燃《や》かれ候に等《ひとし》き苦艱《くげん》の募り候のみにて、いつ此責《このせめ》を免《のが》るるともなく存《ながら》へ候《さふらふ》は、孱弱《かよわ》き女の身には余《あまり》に余に難忍《しのびがた》き事に御座候。猶々《なほなほ》此のやうの苦《くるし》き思を致候《いたしさふらふ》て、惜むに足らぬ命の早く形付《かたづ》き不申《まをさざ》るやうにも候はば、いつそ自害致候てなりと、潔く相果て候が、※[#「※」は「しんにょう+向」、483−1]《はるか》に愈《まし》と存付《ぞんじつ》き候《さふら》へば、万一の場合には、然《さ》やうの事にも可致《いたすべく》と、覚悟極めまゐらせ候。
 さまざまに諦《あきら》め申候《まをしさふら》へども、此の一事は迚《とて》も思絶ち難く候へば、私《わたくし》相果《あひは》て候迄《さふらふまで》には是非々々一度、如何に致候ても推《お》して御目《おんめ》もじ相願ひ可申《まをすべく》と、此頃は唯其事《ただそのこと》のみ一心に考居《かんがへを》り申候《まをしさふらふ》。昔より信仰厚き人達は、現《うつつ》に神仏《かみほとけ》の御姿《おんすがた》をも拝《をが》み候やうに申候へば、私とても此の一
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