も御遠慮には及びませんで御座います。貴方こそさぞ御残念でゐらつしやいませう」
「はい、誠に残念でございます」
「さやうで御座いませうとも」
「四五年ぶりで逢ひましたので御座いますから、色々昔話でも致して今日《こんにち》は一日遊んで参らうと楽《たのしみ》に致してをりましたのを、実に残念で御座います」
「大きに」
「さやうなら私はお暇《いとま》を致しませう」
「お帰来《かへり》で御座いますか。丁度唯今小降で御座いますね」
「いいえ、幾多《いくら》降りましたところが俥《くるま》で御座いますから」
互に憎し、口惜《くちを》しと鎬《しのぎ》を削る心の刃《やいば》を控へて、彼等は又|相見《あひみ》ざるべしと念じつつ別れにけり。
第 七 章
家の内を隈無《くまな》く尋ぬれども在らず、さては今にも何処《いづこ》よりか帰来《かへりこ》んと待てど暮せど、姿を晦《くらま》せし貫一は、我家ながらも身を容《い》るる所無き苦紛《くるしまぎ》れに、裏庭の木戸より傘《かさ》も※[#「※」は「敬/手」、364−5]《さ》さで忍び出でけるなり。
されど唯一目散に脱《のが》れんとのみにて、卒《にはか》に志す方《かた》もあらぬに、生憎《あやにく》降頻《ふりしき》る雨をば、辛《から》くも人の軒などに凌《しの》ぎつつ、足に任せて行くほどに、近頃思立ちて折節《をりふし》通へる碁会所の前に出でければ、ともかくも成らんとて、其処《そこ》に躍入《をどりい》りけり。
客は三組ばかり、各《おのおの》静に窓前の竹の清韻《せいいん》を聴きて相対《あひたい》せる座敷の一間《ひとま》奥に、主《あるじ》は乾魚《ひもの》の如き親仁《おやぢ》の黄なる髯《ひげ》を長く生《はや》したるが、兀然《こつぜん》として独《ひと》り盤を磨《みが》きゐる傍に通りて、彼は先《ま》づ濡《ぬ》れたる衣《きぬ》を炙《あぶ》らんと火鉢《ひばち》に寄りたり。
異《あやし》み問はるるには能《よ》くも答へずして、貫一は余りに不思議なる今日の始末を、その余波《なごり》は今も轟《とどろ》く胸の内に痛《したた》か思回《おもひめぐら》して、又|空《むなし》く神《しん》は傷《いた》み、魂《こん》は驚くといへども、我や怒《いか》る可き、事や哀《あはれ》むべき、或《あるひ》は悲む可きか、恨む可きか、抑《そもそ》も喜ぶ可きか、慰む可きか、彼は全く自ら弁ぜず。
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