、貴方《あなた》は! お帰来《かへり》でしたか」
 その人は待ちに待たれし直道なり。貫一は忙《いそがはし》く出迎へぬ。向ひて立てる両箇《ふたり》は月明《つきあかり》に面《おもて》を見合ひけるが、各《おのおの》口吃《くちきつ》して卒《にはか》に言ふ能はざるなりき。
「何とも不慮な事で、申上げやうもございません」
「はい。この度《たび》は留守中と云ひ、別してお世話になりました」
「私《わたくし》は事の起りました晩は未《ま》だ病院に居りまして、かう云ふ事とは一向存じませんで、夜明になつて漸《やうや》く駈着《かけつ》けたやうな始末、今更申したところが愚痴に過ぎんのですけれど、私が居りましたらまさかこんな事にはお為せ申さんかつたと、実に残念でなりません。又お二人にしても余り不覚な、それしきの事に狼狽《ろうばい》される方ではなかつたに、これまでの御寿命であつたか、残多《のこりおほ》い事を致しました」
 直道は塞《ふさ》ぎし眼《まなこ》を怠《たゆ》げに開きて、
「何もかも皆焼けましたらうな」
「唯|一品《ひとしな》、金庫が助りました外には、すつかり焼いて了ひました」
「金庫が残りました? 何が入つてゐるのですか」
「貨《かね》も少しは在りませうが、帳簿、証書の類が主《おも》でございます」
「貸金に関した?」
「さやうで」
「ええ、それが焼きたかつたのに!」
 口惜《くちを》しとの色は絶《したた》かその面《おもて》に上《のぼ》れり。貫一は彼が意見の父と相容《あひい》れずして、年来《としごろ》別居せる内情を詳《つまびら》かに知れば、迫《せ》めてその喜ぶべきをも、却《かへ》つてかく憂《うれひ》と為《な》す故《ゆゑ》を暁《さと》れるなり。
「家の焼けたの、土蔵の落ちたのは差支無《さしつかへな》いのです。寧《むし》ろ焼いて了はんければ成らんのでしたから、それは結構です。両親の歿《なくな》つたのも、私《わたくし》であれ、貴方であれ、かうして泣いて悲む者は、ここに居る二人きりで、世間に誰一人……さぞ衆《みんな》が喜んでゐるだらうと思ふと、唯親を喪《なくな》したのが情無《なさけな》いばかりではないのですよ」
 されども堰《せき》敢《あ》へず流るるは恩愛の涙なり。彼を憚《はばか》りし父と彼を畏《おそ》れし母とは、決して共に子として彼を慈《いつくし》むを忘れざりけり。その憚られ、畏れられし点を除きて
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