。その立てる二三歩の前は直行が遺骨を発《おこ》せし所なり。恨むと見ゆる死顔の月は、肉の片《きれ》の棄てられたるやうに朱《あか》く敷《し》ける満地の瓦を照して、目に入《い》るものは皆伏し、四望の空く寥々《りようりよう》たるに、黒く点せる人の影を、彼は自《おのづか》ら物凄《ものすご》く顧らるるなりき。
立尽せる貫一が胸には、在りし家居の状《さま》の明かに映じて、赭《あか》く光れるお峯が顔も、苦《にが》き口付せる主《あるじ》が面《おもて》も眼に浮びて、歴々《まざまざ》と相対《さしむか》へる心地もするに、姑《しばら》くはその境に己《おのれ》を忘れたりしが、やがて徐《しづか》に仰ぎ、徐に俯《ふ》して、さて徐に一歩を行きては一歩を返しつつ、いとど思に沈みては、折々涙をも推拭《おしぬぐ》ひつ。彼は転《うた》た人生の凄涼《せいりよう》を感じて禁ずる能《あた》はざりき。苟《いやし》くもその親める者の半にして離れ乖《そむ》かざるはあらず。見よ或はかの棄てられし恨を遺《のこ》し、或はこの奪はれし悲《かなしみ》に遭《あ》ひ、前の恨の消えざるに又新なる悲を添ふ。棄つる者は去り、棄てざる者は逝《ゆ》き、※[#「※」は「煢−冖」、276−13]然《けいぜん》として吾独《われひと》り在り。在るが故に慶《よろこ》ぶべきか、亡《な》きが故に悼《いた》むべきか、在る者は積憂の中に活《い》き、亡き者は非命の下《もと》に殪《たふ》る。抑《そもそ》もこの活《かつ》とこの死とは孰《いづれ》を哀《あはれ》み、孰を悲《かなし》まん。
吾が煩悶《はんもん》の活を見るに、彼等が惨憺《さんたん》の死と相同《あひおなじ》からざるなし、但殊《ただこと》にするところは去ると留るとのみ。彼等の死ありて聊《いささ》か吾が活の苦《くるし》きをも慰むべきか、吾が活ありて、始めて彼等が死の傷《いたまし》きを弔ふに足らんか。吾が腸《ちよう》は断たれ、吾が心は壊《やぶ》れたり、彼等が肉は爛《ただ》れ、彼等が骨は砕けたり。活きて爾苦《しかくるし》める身をも、なほさすがに魂《たましひ》も消《け》ぬべく打駭《うちおどろ》かしつる彼等が死状《しにざま》なるよ。産を失ひ、家を失ひ、猶《なほ》も身を失ふに尋常の終を得ずして、極悪の重罪の者といへども未《いま》だ曾《かつ》て如此《かくのごと》き虐刑の辱《はづかしめ》を受けず、犬畜生の末までも箇様《かよ
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