は鬮《くじ》だから為方《しかた》が無いわ」
「鬮だけれど、組に成つて可厭さうな様子も見えなかつたもの」
「そんな無理な事を言つて!」
「三百円の金剛石ぢや到底僕等の及ぶところにあらずだ」
「知らない!」
宮はシォールを揺上《ゆりあ》げて鼻の半《なかば》まで掩隠《おほひかく》しつ。
「ああ寒い!」
男は肩を峙《そばだ》てて直《ひた》と彼に寄添へり。宮は猶《なほ》黙して歩めり。
「ああ寒い!!」
宮はなほ答へず。
「ああ寒い!!!」
彼はこの時始めて男の方《かた》を見向きて、
「どうしたの」
「ああ寒い」
「あら可厭ね、どうしたの」
「寒くて耐《たま》らんからその中へ一処《いつしよ》に入れ給へ」
「どの中へ」
「シォールの中へ」
「可笑《をかし》い、可厭だわ」
男は逸早《いちはや》く彼の押へしシォールの片端《かたはし》を奪ひて、その中《うち》に身を容《い》れたり。宮《みや》は歩み得ぬまでに笑ひて、
「あら貫一《かんいつ》さん。これぢや切なくて歩けやしない。ああ、前面《むかふ》から人が来てよ」
かかる戯《たはむれ》を作《な》して憚《はばか》らず、女も為すままに信《まか》せて咎《とが》めざる彼等の関繋《かんけい》は抑《そもそ》も如何《いかに》。事情ありて十年来鴫沢に寄寓《きぐう》せるこの間貫一《はざまかんいち》は、此年《ことし》の夏大学に入《い》るを待ちて、宮が妻《めあは》せらるべき人なり。
第 三 章
間貫一の十年来鴫沢の家に寄寓せるは、怙《よ》る所無くて養はるるなり。母は彼の幼《いとけな》かりし頃世を去りて、父は彼の尋常中学を卒業するを見るに及ばずして病死せしより、彼は哀嘆《なげき》の中に父を葬るとともに、己《おのれ》が前途の望をさへ葬らざる可《べ》からざる不幸に遭《あ》へり。父在りし日さへ月謝の支出の血を絞るばかりに苦《くるし》き痩世帯《やせじよたい》なりけるを、当時彼なほ十五歳ながら間の戸主は学ぶに先《さきだ》ちて食《くら》ふべき急に迫られぬ。幼き戸主の学ぶに先ちては食ふべきの急、食ふべきに先ちては葬《はうむり》すべき急、猶《なほ》これに先ちては看護医薬の急ありしにあらずや。自活すべくもあらぬ幼《をさな》き者の如何《いか》にしてこれ等の急を救得《すくひえ》しか。固《もと》より貫一が力の能《あた》ふべきにあらず、鴫沢隆三の身|一個《ひとつ》
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