くじ》かんと大童《おほわらは》になれるに外《ほか》ならざるなり。果せる哉《かな》、件《くだん》の組はこの勝負に蓬《きたな》き大敗を取りて、人も無げなる紳士もさすがに鼻白《はなしろ》み、美き人は顔を赧《あか》めて、座にも堪《た》ふべからざるばかりの面皮《めんぴ》を欠《かか》されたり。この一番にて紳士の姿は不知《いつか》見えずなりぬ。男たちは万歳を唱へけれども、女の中には掌《たなぞこ》の玉を失へる心地《ここち》したるも多かりき。散々に破壊され、狼藉され、蹂躙されし富山は、余りにこの文明的な轤エる遊戯に怖《おそれ》をなして、密《ひそか》に主《あるじ》の居間に逃帰れるなりけり。
 鬘《かつら》を被《き》たるやうに梳《くしけづ》りたりし彼の髪は棕櫚箒《しゆろぼうき》の如く乱れて、環《かん》の隻《かたかた》※[#「※」は「てへん+宛」、17−4]《も》げたる羽織の紐《ひも》は、手長猿《てながざる》の月を捉《とら》へんとする状《かたち》して揺曳《ぶらぶら》と垂《さが》れり。主は見るよりさも慌《あわ》てたる顔して、
「どう遊ばしました。おお、お手から血が出てをります」
 彼はやにはに煙管《きせる》を捨てて、忽《ゆるがせ》にすべからざらんやうに急遽《とつかは》と身を起せり。
「ああ、酷《ひど》い目に遭《あ》つた。どうもああ乱暴ぢや為様が無い。火事装束ででも出掛けなくつちやとても立切《たちき》れないよ。馬鹿にしてゐる! 頭を二つばかり撲《ぶた》れた」
 手の甲の血を吮《す》ひつつ富山は不快なる面色《おももち》して設《まうけ》の席に着きぬ。予《かね》て用意したれば、海老茶《えびちや》の紋縮緬《もんちりめん》の※[#「※」は「ころもへん+因」、17−11]《しとね》の傍《かたはら》に七宝焼《しちほうやき》の小判形《こばんがた》の大手炉《おほてあぶり》を置きて、蒔絵《まきゑ》の吸物膳《すひものぜん》をさへ据ゑたるなり。主は手を打鳴して婢《をんな》を呼び、大急《おほいそぎ》に銚子と料理とを誂《あつら》へて、
「それはどうも飛でもない事を。外《ほか》に何処《どこ》もお怪我《けが》はございませんでしたか」
「そんなに有られて耐《たま》るものかね」
 為《せ》う事無さに主も苦笑《にがわらひ》せり。
「唯今《ただいま》絆創膏《ばんそうこう》を差上げます。何しろ皆書生でございますから随分乱暴でございませ
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