しまって声も出なかったそうです。自分自身が死の淵に臨んででもいるように、惘然と其処に釘付にされてしまったそうです。見ると、男はやはりレールに寝ているし、汽車は一刻の猶予もなく走って来るのです。そのうちに汽車が一町ばかり先に迫ると、男はまたぱっと飛び起きました。よく誰でも云いますね、鉄道自殺は、その間際に飛び込まなくてはいけないもので、前から線路に寝てなぞ居られるものでないと。その男もやはり寝て居られなかったのでしょう。……友人は男が飛び起きたのを見て、ほっと安心したそうです。所がどうでしょう。その男は、線路から飛び退きもしないで、線路の上に一つ飛び上ったかと思うと、そのまま、進行してくる汽車を目がけて、力一杯に走り出したのです。汽車はもう間近に迫って居ます。こちらからも走って行くのです。声を立てる間もありません。見ていた友人は眼をつぶってしまいました。……眼を開くと、汽車は止まっていて、大勢の人が車窓から首を出しているし、二三人の車掌が線路に沿って歩いています。……友人は後になっても、汽笛一つ聞えなかったのが不思議だと云っていました。そして、汽車に向って突進して行った男の姿が、いつまで
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