私は凡てに腹立っていたのだ。それで急いで勘定をして立ち上った。その時彼がふり返って私を見た。その瞬間彼の眼が異様に輝いて私の胸を射た。
――カフェーの中の空気はそれきりまた静まって、私の世界のうちに落ち付いた。私は平和に菓子をつまみ紅茶をのんだ。
或る晩、彼がつと入って来た。その後ろに扉をしめて一寸彼は立ち止った。彼はぐるりと室を見廻して、それから私の方へその気味の悪い眼を据えた。その時私は明瞭《はっきり》と知った。彼は決して私の顔は見なかった。只私の前に在る紅茶と菓子とをじっと見たのだ。それから彼は例の四角い卓子について、紅茶と菓子とを女中に云いつけた。
私はそれが気になって仕様がなかった。でもじっと堪《こら》えてやった。然し次第に不気味な恐怖が私を捕えてゆく。私は始終彼から何かを盗まれてることに気が付いた。それで思い切ってじっと彼の横顔を見つめてやった。
その時彼はじっと室の隅を見つめて口を堅く閉じていた。そして口のまわりの頬の筋肉を引きしめたり弛めたりしている。丁度蛙の顎《あご》のようだ。で私はじっとその筋肉の運動を見ていたら、妙な擽ったいような戦慄が伝った。そして私の
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