て一杯の力を以て前の方へ向っている。その時私の後ろにじっと私を見つめている大きい影を私は感じた。然しもうふり返れないんだ。どうにも出来ないんだ。私は力強く自分の額を拳固で叩いてやった。巨大な岩を叩いたような音がした。
私はウィスキーを飲んでみた。女中が其処に立って私をじろじろ見ているので、うるさいと怒鳴ってやったら引込んでいった。
私はどれだけの時が過ぎたか知らない。その時ある大きいものが一瞬間その歩みを止めたのだ。凡てが深く息を吸い込んでいる。さっと深い沈黙が流れる。動いてはいけない。指一本動かしてはいけないんだ。
私は明瞭と知ったのだ。それで扉の方をまたたきもしないで見つめた。彼が音もなくすっと入って来た。それから一寸立ち止っていきなり私に眼を止めた。
大きい力強いものが私を捉えた。彼がじっと私を見つめたまま真直に私の方へ進んでくる。そしてその眼がぐんぐん彼の方へ私を引きつけようとしている。
私はすっと立ち上った。その時私の頭の中でさらさらという音がした。私は彼の胸の所へじっと眼を据えた。何かがさっと流れた。私は右手に懐剣を握った。刃が真黒なんだ。それを彼の胸の中に力を込
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