一つ所に据えた。然し私は何にも見も聞きもしないんだ。弦のようにはり切った私の心がそうすることを強ゆるんだ。時々何処かの筋肉がびくびくと引きつる。
 私は唯そうして居なければいけないんだ。それで母が来ても女中が来ても、私はすぐに追いやって自分一人室の中に居た。
 凡てが必然なんだ。何にも考えることなんかないんだ。唯必然にそうしなければいけないという事実ばかりなんだ。私はその事実をじっと見つめているんだ。

 ――金曜の晩私は深い水底に居るような心地をして家を出た。懐剣を緊と内懐にしまった。家を出てふと振り返ると、閉めた筈の格子が二三寸許りあいていた。私はそれをがたりと力一杯にしめてやった。
 私は一直線にカフェーに向った。私は首を少し前の方に伸して、光りと影とのうちに無形のものをすかし見ながら歩いた。形あるものは何物も私の眼に入らなかった。そして少しの足音もしないように而も力強く歩いた。
 カフェーの前に立った時、私は全力をこめてじっと扉を睥めてやった。そしたら独りですーっと扉が開いた。私はつと身を入れて、それから自分の席について彼を待った。
 私のうちの凡てのものが硬くなっている。そし
前へ 次へ
全29ページ中23ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング