右手が勘定台《カウンター》で、その上の格子から女中の髪に※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]した白い花の簪が見える。客が非常に少かった。私は室の奥に据えられた煖炉《ストーブ》に火が焚かれたのを見たことがない。何時も女中が小さい瀬戸の火鉢を持って来てくれた。
其処に入ると直ちにそれらのものが私の世界に飛び込んで来て甦える。私の心の広さと室の広さとがぴったりと合うのだ。其処には何にも私の心の領域を越えた処から来る眼付がないのだった。
――私がかの男を初めて見たのは決してこのカフェーでではない。然しじっと見つめてやったのはその室でなんだ。
私は一体にまん円いものが好きなんだ。それは可愛いい魂を持ってるからだ。じっと見つめていると、一つの中心点を定めておとなしく上品にくるくると廻転しはじめるからだ。で私の席は何時も奥の円い卓子にきまっていた。
かの男は何時も私の卓子と並んだ四角い卓子に着いた。両足をきちんと揃えて、室の中に背中を向け、両手を組んでじっと薄暗い隅を見つめていた。彼は私と同じようなラクダのマントを着、中折帽で深くその額を隠していた。然し
前へ
次へ
全29ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング