んだ。
彼は私の世界を次第に食い減らしてゆく。凡てのものが私の心のうちにじっと魂の眼を見張っていた。然しそれらの眼の上に薄いベールが被ってきた。それが次第に厚くなってゆく。それに彼の引いている薄暗い影が宿ってくる。私は次第に孤独になるのを感ずる。凡てが私に背いて彼の方へ靡いてゆくのだ。私はそれをどうすることも出来ないんだ。私はどうにもならない苦悶のうちから、只彼をじっと見てやった。自分の生きた皮を一枚一枚剥いでゆく強暴な動物を見るような眼で、私は只じっと喰い入るように彼を見つめてやった。
――彼は其処から出てゆく時に、先ず扉を内方へ引く。そして身体を前の方へまげて屹度外面を覗くのだった。私はその姿を見る時何時も堪えられないような恐怖を感じた。
然しある風の強い晩だった。私はそっと懐中時計を取り出した。その晩は風の音にまぎれて時計の声も彼には聞えないだろうと思ったからだ。彼はその時七秒間外をじっと窺っていた。そして真直に立ち直って大股に出て行った。
それから度々私はその時間を測定してみた。五秒から八秒にきまっていた。私はその時間と彼の心臓の鼓動とから何かを発見しようと努力した。
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