心の中で呟く。私としても、さほど確固たる決意があるわけではない。実のところ、酒よりも、あの眼だ。

 いつの頃からか、記憶にはないが、私は一種の眼の幻影を見るようになった。初めは、何かが、誰かが、私の方をじっと見ているという、漠然たる感じだったが、遂には、一つの眼が、はっきりした形となって現出してきた。
 ひょっとした気持ちの隙間に、自分を見ている者があると感ずることは、大抵の人が経験するところであろう。浅間しいことをしている場合に多い。そして自分を見ているその者は、或は神と呼ばれることもあろうし、或は悪魔と呼ばれることもあろうし、或は単に自意識だとされることもあろう。
 然し、私のはそのようなものではない。私の方をじっと見ている何かが、現実的に存在するのだ。やがては、その眼が現実的に存在するのだ。而もただ眼だけで、他に何もない。
 自分自身から自分の姿が遊離して、自分がしようと思うことを先立ってやってしまうことを、モーパッサンは晩年の幾つかの短篇に書いている。仕事をするつもりで書斎にはいってくると、其奴が机に坐って仕事をしている。水を飲もうとすると、其奴が水瓶の水をコップについで飲んでしまう。路傍の花を摘もうとすると、其奴がその花を摘んでしまう。一瞬の幻影で、其奴の姿はすぐに消えるが、行為は確かに果されているのだ。そういう幻覚に、モーパッサン自身悩まされたことを、ロンブローゾは証明している。固より病気のせいだ。私の知ってる医者も、その種の幻覚はあり得ることだと言った。私はその医者に健康診断をして貰ったが、私には病気はなかった。
 自分の姿が遊離して行動する。そのようなばかげた幻覚は私にはない。だが往々にして、第三者の眼がありありと見えるのだ。
 焼け跡の道を歩いていて、ふと足を止め、若葉を出してる草むらを眺めていると、その草むらの中に、一つの眼が現われて、私の方をじっと眺めている。
 キャバレーの円柱のかげで、ウイスキーのグラスをなめていると、音楽が途絶えてひっそりした瞬間、一つの眼が宙に現われて私の方をじっと眺めている。
 河岸ぷちの柳の小枝が垂れ下ってるのを見て、夕方、枝が重いか青葉が重いかと、ばかなことを考えているとたんに、一つの眼が柳の中から浮き出してきて、私の方をじっと眺めている。
 酒にもくたびれ、自分の室にはいるなり、仰向けにひっくり返って眼を閉じ、
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