ることもあるでしょうにね。」
 お上さんの言うことが道理だと、私は思うのである。
「黒田さん、意気地がありませんわね。もっと、本気で、狐に憑かれなすったら、面白かったでしょう。」
 秋子の言うことは痛快だと、私は思うのである。
「そうだ、僕だったら本気で憑かれてみせるね。君はどうだい。」
「あたしも憑かれてみせますわ。」
「じゃあ、僕が憑いてやろうか。」
「ええ、どうぞ。その代り、あたしもあなたに憑きますよ。」
 お上さんも酒を飲んだ。
「狐や狸ならいいんですけれど、蛇に憑かれたら困りますね。」
 蛇に憑かれた怪談が出てきた。女はだいたい怪談が好きなものだ。
 そして私は怪談に酔い、酒に酔い、のびてしまった。炬燵を拵えて貰ってごろ寝をした。憑くぞ、憑くぞ。秋子と言い合っているうちに眠った。――その夜、私は秋子と抱き合ってキスした。
 私は秋子を特別に好きではなかったが、嫌いでもなかった。色が白く、下ぶくれの顔立で、まあ十人並以上の容姿と言える。ただ、へんに気になるところがある。第一はその眼眸で、ちょっと白痴的なものを感じさせることさえある。それから、頭は悪くなく、はきはき判断をつけるが、それが一つ一つの事柄に就いてであって、全体としてはどこかに断層みたいなものがあるらしくも見える。杉幸のお上さんの姪とかいうことだが、勿論処女ではなく、年は三十に近い。
 中一日おいた次の晩、彼女はウイスキーを一本ぶらさげて、私のアパートへ遊びに来た。
「店の方はいいのかい。」
「お友だちのところへ行くことにして、出て来ました。」
「そんな物を持って来ると、ほんとにとり憑くよ。」
 彼女はにこりと笑って、私の方へじっと眼を据えた。こちらの肌にぴたりと張りつくようなその眼眸に、異様な魅力があった。私は彼女へ飛びかかっていった。
 それから、私と彼女との交渉は頻繁になった。彼女は大胆だった。杉幸の店で、他の客の前でも、普通の言葉遣いのうちに親昵の調子を露骨に現わした。雑誌社の方へも度々電話をかけてきた。アパートへもしばしばやって来、私の不在中にも上りこみ、泊ってゆくこともあった。私は平然と彼女を連れ歩いた。知人間に二人の噂は次第に拡がってゆくらしかった。杉幸の主人とお上さんがどう思ってるかは、私の知るところでなかった。彼等からも私からも何とも言い出さなかった。普通の恋愛関係とは違っていた。
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