この広々とした焼け野原と、異邦にある彼の脳裏で何かの関連を持ったのでもあろうか。
 残念なことに、この時の話はまもなく打ち切られた。空襲警報が遠くから響いてきたのである。焼け野原のなかで詳しい情報は知る由もなく、私は危なげな腕前で自転車を走らせねばならなかった。
 坂にさしかかって、自転車から降りて振り返ると、彼方に、楊先生はゆったりとした散歩の調子で、歩いてゆくのであった。
 それからも一度、私は楊先生に逢った。終戦後、九月下旬の午後のことである。
 私は日比谷の四辻を通りかかった。公園前の電車停留場には、乗客が長い列を作っていた。その列のなかに、私は長身の楊先生を見かけた。先方でも、列から少しはみ出しかげんに佇んで、わき見をしていたので、歩道を通りかかる私にすぐ気づいた。
 私は別に急ぐ用もなかったので、彼が電車を待つ退屈を多少ともまぎらしてやるつもりで、傍に行って話をした。
 彼ははでな仕立の背広服をつけ、チョコレート色の短靴、薄茶色のソフト帽、籐のステッキという、すきのない身装をしていた。
 私は微笑して、彼の薪割り姿や焼け跡の散歩姿を思い浮べた。
「どちらへ。」
「これから帰
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