い、高度な文明は、決して断水しない水道とか、決して停電しない電気とか、決してとまらない瓦斯とか、そういうものを主張しますが、やはりわれわれには、時々断水する水道や、時々停電する電気や、時々出なくなる瓦斯などの方が、なにか親しみがあって、いいようです。それはわれわれに、種々の健全なそして楽しい道楽を与えてくれる機縁となります。」
楊先生は自ら識らずして大きな皮肉をとばしていた。そして彼自身は至極真面目なのである。楽しそうでさえある。
私は何も言うことがなかった。薪割の邪魔をしないようにと、間もなく辞し去った。
その後、東京空襲はますます激化し、災害地域は拡大して、至る所が焼け野原となった。私の友人知人にも罷災者が続出した。この間私は、まあ焼け出されるまではと、度胸をきめて、時折、自転車を乗り廻すのを楽しみにした。そういう自転車散歩の或る朝、六月のこと、偶然、楊先生に出逢ったのである。
私の自転車は習いたてである。少しの坂道はもう駄目で、降りて歩くより外はない。崖上の小道なども危いので、四方を眺めるような風をして、自転車を押して歩くのである。
そういう崖上の小道に、その日、さし
前へ
次へ
全11ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング