せかせかと、事の次第を話しました。
 その日の正午頃、二階の中程に住んでる人の室から、火が出ました。アイロンをうっかりつけっ放しにして、買い物に出たあと、過熱のために畳をこがし、襖にも火がついたらしいとのことでした。発見された時は、もう窓から濛々と黒煙が出ていました。みんなで寄ってたかって消し止め、幸に大事に至らないで済みましたが、一時は大騒ぎだったそうです。
「あなたが仰言った通りよ。身祿さんて、すごいんですね。それとも、護って下すったのかしら。将来の警告かも知れませんわね。とにかく、よくお祈りしておいて下さいね。」
「ええ、もう大丈夫でしょう。」
「いやに落着いていらっしゃるのね。わたくし、大急ぎでお知らせに上ったんですのよ。まだいろいろ用があるし、また伺いますわ。」
 江口さんは急いで帰ってゆきました。
 それから、小火の後始末が一段落つきますと、江口さんは、A女の名前だけは祕して、前後のことをやや詳しく人々に語りました。それはただ偶然の一致に過ぎないと、やはり取り合わない者もありましたが、身祿さんにお詣りする者はずっと多くなり、寺の住職にたのんで、供養の塔婆も建てられました。
 江口さんはなお、身禄さんのお祭りをしようとまで考えましたが、余り大袈裟にしない方がよろしかろうとの、A女の助言に、すべて従うことにしました。
 そしてその後、身禄山の碑の前には、誰がするともなく、米塩の供物が絶えませんでしたが、それがいつまで続くかは分りかねます。ただ、身禄山は付近の土地の火伏せの神だと、広く知られるに至りました。

     第二話

 A女の親しい友だちに、村尾さんというひとがありました。これも、同じ年配の未亡人です。
 秋のある日、A女はなにか些細な用事で、村尾さんを訪れましたが、女同士のこととて、殊に未亡人同士のこととて、とりとめもないつまらない話が、それからそれへと枝葉を伸ばしてゆきました。そのうちにふと、村尾さんは言いました。
「ねえ、家相とか方位とかいうものが、ほんとにあるものでしょうか。あなたはどうお思いになりますの。」
 村尾さんは江口さんとちがって、A女の信仰のことなど、一向に知らないのです。
 A女は頬笑みました。
「そりゃあね、世間には、家相をやかましく言ったり、方位にこったりするひとが、あるにはありますが、あなたがそんなこと言いだしなさるのは、おかしいわね。」
「いえ、わたくしが信じてるというのじゃありませんよ。ただ、ちょっと気になることがあって、それからだんだん聞いてみると、どうもへんなんですのよ。」
「へんなこと、つまり理外の理というのでしょうか、世の中にはたくさんありますわ。」
「それがねえ……。」
 村尾さんはちょっと考えこんで、頭の中を整理するらしく、そして話しました。
 村尾さんの娘の嫁入先のことです。
 相良家の広い屋敷が、戦時中の空襲のため灰燼に帰し、その一部に相良家は自邸を新築し、残りの土地を分譲しまして、そこに六軒のこじんまりした家が建ちました。そのうちの一軒が、村尾さんの婿の今井さんの家です。
 今井さんは、自分の家を建てるに当って、丹念に設計図を吟味しまして、迷信家ではありませんけれど、鬼門とか裏鬼門とかその他の方位についても、よろしくないとされてる世間的通念は避けたのでした。
 そして家が出来上ると、田舎の方にいた母親を引取りました。その母親が、軽い脳溢血で寝込みました。これはやがて快方に向いましたが、今度は、女の児が耳の病気で病院にはいりました。これもやがて恢復しましたが、次には、妻が胸を病んで、未だにぶらぶらしてる始末です。
 病気とか災難とかが重なることは、人生にしばしばあるもので、今井さんの家の事態も、そう簡単に片付けてしまえば、それで一向差支えないのですけれど、思いようではやはり気にかかります。
 それからふと思い廻してみますと、そこの分譲地に建ってる六軒の家に、みな、ろくなことはありませんでした。一軒は、夜盗がはいって、奥さんの衣類をごっそり持ってゆかれました。一軒は、娘さんが虚弱で、学校も休みがちでした。他の三軒には、みな、肺を病んでる女人がありまして、今井さんとこと同様なのです。
 村尾さんは溜息をつきました。
「ねえ、なんだかへんでしょう。」
 A女は簡単な合槌をうって話を聞いていましたが、眼尻が少しつり上り、瞳が据ってくると、いきなり言いました。
「それは、地所の障りですね。」
 言ってしまってから、A女ははっと気づきました。よけいなことを口に出したという、軽い後悔の念を覚えました。
「え、地所の障りといいますと……。」
 村尾さんは真剣に問いかけてきました。他人さまのことならとにかく、自分の娘の嫁入ってる家がそこにありますし、娘がげんに病人の一人なのです。
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