霊感
豊島与志雄

−−
【テキスト中に現れる記号について】

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)小説5[#「5」はローマ数字、1−13−25]
−−

     第一話

 都内某寺の、墓地の一隅に、ちと風変りな碑があります。火山岩の石塊を積みあげて、高い塚を築き、その頂に、平たい石碑を立てたものです。碑面に、身禄山とありますが、その昔、身禄という行者があって、深山に籠り、禅の悟道に参入して生を終えた、その人のために建てた碑です。大正十二年再建とありますが、大正十二年といえば関東大地震の年で、恐らく、土台の石畳の一部が壊れるか、碑が傾くかして、それを修理したのでしょう。全体の構築はたいへん古く、碑の背後には、樫の古木が茂っています。
 この身禄山を、附近の人々は、ミロクサンと呼んでいます。文字面の音をそのまま取って、身禄さまではなく、身禄さんと、親しい気持ちをこめたものです。そして朝な夕な、誰がするともなく、白紙に塩や白米を盛ったのが、身禄さんの前に供えられています。
 この身禄さんを、三年ほど前までは、ほとんど誰も顧みる者がありませんでした。塚全体が荒れはて、茅草や灌木が生え、といっても火山岩を畳みあげたものですから、気味わるい茂みを作るほどではなく、あたりの立木の蔭にひっそりとして、つまり、人目につかない状態のまま、うち捨ててあったのです。
 ただ、江口未亡人とその娘さんとは、身禄さんのそばを通りかかる時、いつも、ちょっと頭を下げました。身禄さんを信仰するかどうとかいうのではなく、自然にそういう習わしになっていました。
 戦後のこととて、寺の境内も墓地も、手入が行届いておらず、板塀や垣根なども壊れたままで、通行自由な有様でした。江口さんの家から大通りへ出るのには、墓地をつきぬけるのが一番の近道で、その近道のそばに身禄さんがあるので、そこを通りかかることが多かったのです。そして通りかかると、江口さんも娘さんも、何ということなしに、軽く頭を下げました。
 ところが、その江口さんの家に、いろいろ思うに任せぬことがあったり、娘さんの健康がすぐれなかったりして、春の末頃から、江口さんはなんだか気持ちが沈みがちで、不安な影を胸うちに感ずるようになりました。
 そのことを
次へ
全17ページ中1ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング