んは溜息をつきました。
「どうしましょう。」
 A女はためらわず言いました。
「いえ、もう場所はきまっております。」
 こんどはA女が案内する番になって、一同は玄関から表へ出ました。
 A女は寒竹の茂みのあたりを指し示しました。
「ここがお宜しいかと存じます。」
「女将さん。」女中頭が言いました。「わたしもそう申しておりましたでしょう。」
 女将さんは頷きました。
 事がきまりますと、A女はその足で辞し去ることにしました。お午の食事の支度が出来てるからと、女将さんと女中頭はしきりに引き止めましたが、A女は鄭重に辞退しました。
 表の街路に出ると、小泉さんはA女を仰ぎ見るようにしました。
「まったく、あなたには感心しましたわ。」
 A女はかるく含み笑いをしました。
「あんなの、なんでもないことですよ。」
 それよりも、あとにまた別なことが出来てきました。
 場所がきまったとなると、松しまの女将さんは、一日も猶予せず、稲荷さんの祠の建設に取りかかりました。それには先ず、地ならしをして、地所の浄めをしなければなりません。その地所の浄めを、A女にしてほしいと言い出しました。A女の住所は内密にしてありましたので、またもわざわざ、小泉さんのところへ女中が使に来ました。二度も来ました。小泉さんはA女のところへ、往ったり来たりしました。
 A女ももう乗りかかった船と諦めました。その代り、条件を一つ持ち出しました。稲荷さんの祠が建ったら、伏見稲荷の御札を納める御魂入れの儀式を取行って、献饌の儀をしたり、祝詞を上げたりしなければならないのだが、それは自分のような素人にはだめだから、必ず正式の神官に頼んで貰いたいと、そういう条件でした。その条件を守って貰いさえすれば、素人の我流のやり方ではあるけれど、地所の浄めは引受けましょう、と返答しました。
 それからいろいろ打合せをして、当日、A女はまた入念に化粧をし衣裳を選んで、小泉さんと一緒に出かけました。
 寒竹の茂みを背景に、平らに地ならしが出来ていて、そこの小地域、四方に竹を立て、注連縄が張ってあります。中央には、御幣をつけた榊の枝が立っており、塩も盛ってあります。
 A女はその細そりした体を、いささか前屈みにして、小揺ぎもなく突っ立ち、拍手を打って、「滌の祓」を読み上げました。
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たかまのはらにかむづま
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