いつまでたっても動かなかった。私は長い間、その狂人とも常人とも分らない男を、陰鬱な気持で見守っていたが、変に不気味な圧迫を感じてきた。恐らく彼は、私や他の凡ての乗客を棒杭のように思って、そして自分も棒のようにじっと坐り込んだのであろう。
汽車はもうとくに盛岡を通過していた。隧道《トンネル》にさしかかると魔物のような音を立て、全速力で走っているらしかった。私は窓の硝子の曇りを指先で拭いて、外の景色を透し見たが、ただ暗澹とした夜だけで、何一つ眼にはいるものもなかった。私はまた空気枕に頭を押しあてたが、変に不安な気持に頭が冴えて、なかなか眠れそうになかった。前の腰掛の男は、眠ってるのか覚めてるのか、先程の通りの姿勢で、棒のようにじっと坐っていた。私はそれをまた長い間見守っていたが、眼に疲れを覚えてくると、ぐるりと横手へ向きを変えて、腰掛の背にもたせた枕へつっ伏した。そしていろんな幻を見たようだったが、いつしかうっとりと寝込んだらしい。
私が眼を覚した時には、もう白々と夜が明けていた。車室の中がざわめいているのに、喫驚して身を起すと、汽車は浅虫を出たばかりの所だった。もうじきに青森だなと思
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