屹度薄荷の匂の交ったやつですよ。」
彼は小鼻の横に皺を寄せて、うそうそと微笑んだ。
「それから子供の身体は、思ったよりも頑丈ですよ。まるまると肥っていても、妙に骨の節々ががっしりしているものです。ただ指の先と頬辺とだけは、餅のように柔かくつるつるしています。この骨の節々が太くて指先と頬辺とが柔かいほど、子供としての価値《ねうち》があるんです。骨組がひょろひょろしていて、頬がざらざらしてるのなんかは、全く駄目なんです。あなたはそう思いませんか。」
「そうかも知れません。」と、私はぼんやり答えた。「そして、その子供はどうしました。」
「その子供って……ああそうですか。翌朝帰してやりましたよ。私は保険会社に勤めているものですから、毎日出かけなくちゃなりません。子供を一人で一日留守さしとくわけにもゆきませんから、翌朝になると、根津様の中に連れていって、また今晩お出で、と云って放してやりますと、喜んで飛んで行きます。けれどもうそれからは、二度と姿を見せませんよ。変ですね。それでも私は平気です。他にいくらも子供はいますからね。時々私の家へ泊りに来てくれます。私はその時の用意に、絵本や玩具を沢山買っておきました。然し子供は正直な者ですね。それを私がいくら持たしてやろうとしても、朝になると妙にしりごみして、一つも持って行きません。また私の方でも、強いてそれをくれてやろうと思うような子は、まだ一人もありませんでした。いい子だと思っても、夜中になっていやに泣き出したり、どこか気に入らない点があったりして、本当に理想通りなのは、なかなかあるものじゃないんです。ただ一人、これならと思うのがありましたが、それには失敗してしまいました。
「根津様の中に遊んでる子供は、二つ三つの小さなのは別ですが、大抵誰もついてる者はいません。所が中に一人、七つばかりの子で、いつもぱっとした美しい着物をきて、新らしい真赤な足袋をはいて、房々とした髪の毛を少し縮らして、十五六の女中を連れてるのがいました。白目が青いほど澄み切って、小さな黒目でじいっと物を見る眼付が、何とも云えず可愛いいんです。私はその子に、何度も菓子やなんかをやろうとしましたが、どうしても受取ろうとしません。ついてる女中がまた気の利かない奴で、お嬢さまにそんな物を差上げると私が叱られます、とこう云うじゃありませんか。でも私は、一度はその子を家に泊めようと思って、機会を狙っていました。おとなしいわりに胸幅の厚い所を見ると、屹度骨の節々がくるくると太いに違いありませんし、一度一寸突っついた所では、頬辺にみっちりみがはいって、その上もちゃもちゃっとした柔かさです。私はその子を一晩抱いて寝てやりたくなりました。するうちに、とうとう或る日の夕方、まだ薄日がさしていましたからそう遅くもなかったようですが、その子が一人で根津様の門の前に立って、鳩に餌をやってるのを見付けました。私は静に寄っていって、そっと肩に手をかけて、面白い物を見せてあげるからいらっしゃい、と云ってみました。子供はきょとんとして、私の顔を不思議そうに見上げました。で私はその手を取って、いい子ですねとか何とか云って、あやしながら歩き出そうとすると、ふいに大きな声で泣き出してしまったんです。私の方が喫驚しましたよ。その上すぐに、何処からかいつもの女中が馳け出してきて、何をなさるんです、とけたたましい声で私を叱りつけて、力一杯に突きのけたものです。私は本当に驚きましたが、その驚きが静まって、にこにこ笑っていますと、女中は子供を連れて、向うへ走っていってしまいました。それきり、その子は一度も根津様の中に姿を見せませんでした。実に残念なことをしました。」
彼は一寸眉根を寄せたが、またにこにこ笑い出した。
「でもあの子一人に限ったことはありません。またどんないい子が何処にいるかも知れませんからね。穢い着物をきていたって、立派な身体をしてるものもあるものです。私はなお時々、見当をつけては子供を家に引張り込みました。すぐに泣き出すので、そのまま帰してやったのもありますが、一晩おとなしく泊ってゆくのもありました。所が可笑しいんです。或る夕方、やはり一人の子を引張って来ようとすると、鳥打帽を被った眼付の悪い男が、横合から不意に飛び出してきて、私の手首をいやというほどねじ上げたんです。貴様だろう子供を誘拐するのは、とそう云うじゃありませんか。私は笑い出してやりました。こんなに子供を可愛がってる私が、子供を誘拐したんだそうです。馬鹿馬鹿しくてお話にもなりません。それでも私は否応なしに、警察まで引張ってゆかれました。物の道理の分りそうな分別くさい顔をしながら、其処の人達の云い草が可笑しいんです、それならばなぜ貴様は女の子ばかりを誘拐するのか、ですって。だって考えてごらんなさ
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