い、本当に子供だという感じのするのは、女の子に限るじゃありませんか。その上私の子供も、やはり女の子だったんです。」
彼はひょいと首を縮めて、私の眼にじっと見入ってきた。その瞳の据った曇った眼付に、私は何だかぎくりとしたが、さあらぬ体で尋ねかけた。
「そのあなたの子供はどうなったんですか。」
「死にましたよ。母親と殆んど一緒でした。私はその子を余りに可愛がらなかったようです。いや、子供は可愛かったんですが、母親がさほど可愛くなかったものですからね。東京の者で、私より三つも年上で、癇癪持ちでしてね、始終私をいじめてばかりいました。意気地なしだの、愚図だの、馬鹿だのと云って、頭ごなしにやっつけるんです。時には癇癪まぎれに、女にも敵わない弱虫ですかって、私をさんざん小突き廻すことさえあるんです。それなら初めっから、私と一緒にならなけりゃいいんですがね、私はその女のお影で、学校はしくじるし、身体は悪くするし、さんざんな目に逢いましたよ。それでも女は、私を大事にはしてくれたんですね。着物の着方から下駄のはき方から言葉附まで、一々教えてくれましたからね。私が保険会社に出るようになったのも、女が奔走してくれたからなんです。所が子供が出来ると、もう私なんかはそっちのけにして、一切構ってくれないんです。一日中飯を食わせないこともあるんです。私だって癪に障るじゃありませんか、痩我慢にも知らん顔をして、一度も子供を抱いてやったことさえありません。所が子供が三つの時、女は赤痢にかかって死にました。子供もやはり赤痢とか疫痢とかで、殆んど[#「殆んど」は底本では「殆んで」]同時に死にました。そうですね、去年の秋でしたよ。私は二人を一緒に、女の家の墓へ葬ってやりましたが、いいことをしたような気もしますし、残念なことをしたような気もします。然しまだ間に合います。火葬にしたのですから、子供の骨はいつでも取出せるんです。今だって取出せますよ。なかなか腐るものじゃないんでしょうから。ね、そうでしょう。」
彼は口を尖らせて、私の答えを待ち受けるもののようだった。私は云った。
「大丈夫ですとも。だって去年の秋のことでしょう。」
「ええ、去年の秋……そうです。それから私はずっと、子供のことばかり考えてきました。なぜもっと可愛がってやらなかったろうかと、そう思うとはっきり顔が見えてきます。始終にこにこ笑っていましたよ。死んだ時にも笑っていました。片方の目を細く開き口を開いて笑ってるものですから、それを閉じさせるのに骨が折れたくらいです。あの時は三つでしたが、四つ……五つ……六つ……と、だんだん可愛くなるばかりです。生きてたらもう私と一緒に、公園なんか散歩するでしょう。そろそろ学校へも上る頃ですね。屹度よく出来るに違いありませんよ、利口な子でしたからね。そしてだんだん綺麗になってゆくんです。母親は綺麗じゃありませんでしたが、不思議に子供は上品な立派な顔をしていました。がそれももう、ずっと昔のことです。どうかすると何もかもぼんやりして、忘れそうになることがあります。そんな時私は、堪らないほど淋しい陰欝な気持になります。然しまたすぐに諦めます。子供はいくらも世間にいますからね。いつでも何処にでも、あり余るほど沢山います。子供がこの世にいなくなることは決してありません、決してないんです。」
彼は一寸鹿爪らしい顔付になって、眼の曇りが薄らぎ底深い空洞を示しかけたが、それがまたふっと曇ってきて、口許ににやりと薄ら笑いを湛えた。
「子供は温かなものですよ。ほかほかとした何とも云えない温かさです。一寸他に類がありませんね。ごらんなさい。向うに母親の膝を枕に眠ってる子がいますでしょう。あの母親の膝なんか、ただ子供の頭がのっかってるだけで、炬燵にはいったのよりももっと気持よく、ぽかぽかと温ってるに違いありません。」
そして彼は、もう私のことなんかは打忘れたかのように、その母と子とから眼を離さずに、時間を置いてはにやにや薄ら笑いを洩らした。私は可なりの間彼の様子を見守っていたが、ついに待ちきれなくなって云い出した。
「それから、あなたはどうしましたか。」
「え?」
彼は向直って、不思議そうに私の顔を見た。
「警察に連れて行かれたというお話でしたが、それから……。」
「警察……ああそうですか。実に馬鹿馬鹿しい所ですよ。高い格子窓のある暗い室に押込まれましたがね、碌に食物も布団もくれないんです。そして、眼鏡越しに人をじろじろ見るくせに、いやに丁寧な言葉付をする、口髭のある男がやって来まして、私を明るい広い室に連れ出したのはいいんですが、一から百までの数を云ってみろとか、何年何月何日に幾日を加えれば何年何月何日になるかとか、まるで小学校の算術のようなことをやらせるんです。それからまだいろんな
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