からだった。ソリの幻影を新たに呼び覚したのも、保科さんを愛してるからではなくて、また保科さんから愛されたからではなくて、ただ架空な愛を夢みてるからだった。もうたくさんだ。なにもかも投げ捨てよう。そしてほんとに自由になりたい。
 敏子は膝をとんとん叩きました。股の肉が痛く、手の爪が痛くなりました。それでもまだ膝を叩きました。ふと見ると、姿見の鏡中でも、も一人の彼女が、膝を叩いていました。叩くのを止めると、姿見のなかでも叩くのを止めました。じっと眺め入ると、彼女もこちらをじっと眺め入りました。びっくりして立ち上ると、彼女も立ち上りました。その時、彼女はひどく悲しそうな顔をして、やがて涙をほろりとこぼしました。頬に涙が感ぜられました。敏子はそこに突伏して泣きました。あとからあとから涙が出て来ました。そして思うさま泣いてから、坐りなおして、また膝を叩きました。
 ――私は神経衰弱じゃないかしら。
 敏子はまた膝を叩きました。股の肉がしびれてきました。けれど、姿見のなかを覗きこんでみると、もうそこには彼女はいず、まさしく自分の姿だけでした……。
 そのことが、敏子の胸をさっぱりさせました。
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