りませんでした。副島の伯母さんが来ても、ちょっと挨拶をするきりで引っこみました。友だちが来ても、素気ない待遇をしました。掃除や炊事に女中の手伝いをすることも、殆んどなくなりました。
五月二日に、保科哲夫が訪れて来ました時、敏子は初めて長く席にいました。なんだか旧師に対する悪戯生徒のように、言葉少なにもじもじしていました。
保科と母との話のなかで、いろいろなことが露見してきました。
敏子が四月二十日の会合に行ってみたことを、母は初めて知りました。敏子の父が亡くなっていることを、保科は初めて知りました。五月五日すぎに敏子が旅に出る意向のことを、母は初めて知りました。
「旅に出るなんぞと、そのようなことを、ほんとに考えているのですか。」
と母は敏子の方へ尋ねました。
敏子は母と保科を交る代る見て、甘えるように言いました。
「ちょっと考えてみただけでしたの。けれど、だんだん本当の気持ちになってきました。ねえ、お母さま、いいでしょう、ほんの、一週間ばかりでいいんですから、行かして下さらない。」
「いったい、どこへ行くのですか。」
「田舎の町に行ってみたいんですの。市郎伯父さまのところへ
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