妥当な意見を持っているようでした。碁と将棋とどちらが面白いかということについて、彼は言いました。
「上達が速いか遅いかによって、きまると思います。碁の方に速く上達する人にとっては、碁の方が面白いでしょうし、将棋の方に速く上達する人にとっては、将棋の方も面白いことでしょう。」
そういう意見は、話を発展させる代りに、話を萎ませるのに役立つだけでした。そして彼自身は、至極真面目に、何事にも耳を傾けながら、一座の人々と同じように、菓子をたべ、ピーナツをつまみ、コーヒーにちょっぴりウイスキーを注いで飲みました。敏子の方には殆んど注意を向けていないかのようでした。
敏子の方も、彼に注目していたわけではありませんでした。伏目がちにしとやかに座っていて、副島の伯母さんの話相手になりながら、茶菓を弄んでいました。そしてただ時折、ちらりと、視線を彼の方へ向けました。視線を動かすのは悪戯めいた心持ちでしたが、視線そのものは一座の虚を衝き隙間を縫って、いろいろなものを捉えました。
――あの人、あれで退屈でないのかしら。
それが結論でした。そして敏子はもう、視線の悪戯に自ら退屈しはじめました。新たに三人の来客があった機会に、席を立って茶の間の方へ退き、くすりと笑いました。
後からついて来た母は、敏子の快活らしい様子を見て、安心の笑顔をしました。そして副島の伯母さんから、茶の間で親しいもてなしを受け、夜分は不用心なので明るいうちに辞し去りました。
それまでは順調に運びましたが、それから先がすっかり曖昧になってきました。縁談については、どうとも思いようも考えようもないというのが敏子の返事で、当の筒井直介については、人形のようにりっぱな人というのが、敏子の返事でした。それだけでは、話を進めるわけにもゆかず、打ち切るわけにもゆきませんでした。
副島さんからは、敏子の意向を確かめてくれと、度々催促がありましたし、後には、伯母さんが筒井直介と一緒に伺ってもよいかと言ってきました。まだ独身で理科大学の研空室に毎日通ってる敏子の兄は敏子の結婚の話などは意にも留めず、敏子の意志に任せたらよかろうとだけ言いました。そして母一人で気を揉みました。
母は敏子にいろいろ説きました。もう敏子も二十四歳になっていること、筒井直介の家柄や人柄のこと、副島さんがたいへん気を入れていて下さること、副島さんには父の歿後ずいぶん世話になっていること、もう確かな返事をしなければ義理が立たないこと、などを繰り返し語りました。
そういう時[#「 そういう時」は底本では「そういう時」]、母はいつも、大きな桐胴の火鉢の中をのぞきこみ、視線で灰をかきならしてるような態度でした。調子はしみじみと、敏子にではなく、自分自身に言ってきかしてるかのようでした。
「まあ御交際だけでもしてみては、どうでしょうね。この節では、御交際したあとで、はっきりいずれともきめて、差支えありませんでしょう。副島の伯母さまが、あの人を連れてきて下さるそうですから、お任せしておきましょうよ。ただ、その時になって、あなたがあの人に逢うのを嫌がって、逃げだしたりすると、それこそ困りますから、そのことだけはっきりしておかなければなりませんよ。」
敏子は眼のやり場に困って、小さな白い手の爪を見ながら、答えました。
「御交際だけならいいけれど、結婚のための御交際なんて、およそつまりませんわ。」
母は眼を挙げて、じっと敏子を眺めました。
「それでは、あの人との縁談がお嫌なんですね。」
「あの人と限ったことではありませんのよ。結婚なんて、まだ早すぎるんですもの。」
「そんなことを言って、あなたはもう二十四ですよ。結婚は早すぎますからなどと、副島さんに御返事が出来ますか。それは、誰にしたって、まだ結婚するのは早いという気がするものです。わたしもね、お父さまに初めてお目にかかる時、逃げだしてしまって、あとでさんざん叱られたことがありました。けれど、あなたはもう二十四歳になりますよ。」
「あら、お母さまはいつも年のことを仰言るけど、そうじゃないんですの。戦争がすんだばかりで……だから、結婚には早いと思いますの。」
そこまでゆくと、話はうまく通じませんでした。敏子にとっては、戦後に開けた自由な時代が、結婚などとはどうしてもそぐわない感じでした。殊に筒井直介のような人柄との結婚は、考えられない心地でした。それかといって、今度の縁談を断ってしまえば、あとにまた他の縁談が持ち上るに違いありませんでしたから、今度のを楯に取って、すべての縁談を拒むつもりでした。別に独身主義というのではなく、ただ当分の間、気がすむまで、自由な空気を呼吸したかったのです。そういことが、敏子としては母に説明しにくいのでしたし、母には理解しにくいのでした。
その
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