の歿後ずいぶん世話になっていること、もう確かな返事をしなければ義理が立たないこと、などを繰り返し語りました。
 そういう時[#「 そういう時」は底本では「そういう時」]、母はいつも、大きな桐胴の火鉢の中をのぞきこみ、視線で灰をかきならしてるような態度でした。調子はしみじみと、敏子にではなく、自分自身に言ってきかしてるかのようでした。
「まあ御交際だけでもしてみては、どうでしょうね。この節では、御交際したあとで、はっきりいずれともきめて、差支えありませんでしょう。副島の伯母さまが、あの人を連れてきて下さるそうですから、お任せしておきましょうよ。ただ、その時になって、あなたがあの人に逢うのを嫌がって、逃げだしたりすると、それこそ困りますから、そのことだけはっきりしておかなければなりませんよ。」
 敏子は眼のやり場に困って、小さな白い手の爪を見ながら、答えました。
「御交際だけならいいけれど、結婚のための御交際なんて、およそつまりませんわ。」
 母は眼を挙げて、じっと敏子を眺めました。
「それでは、あの人との縁談がお嫌なんですね。」
「あの人と限ったことではありませんのよ。結婚なんて、まだ早すぎるんですもの。」
「そんなことを言って、あなたはもう二十四ですよ。結婚は早すぎますからなどと、副島さんに御返事が出来ますか。それは、誰にしたって、まだ結婚するのは早いという気がするものです。わたしもね、お父さまに初めてお目にかかる時、逃げだしてしまって、あとでさんざん叱られたことがありました。けれど、あなたはもう二十四歳になりますよ。」
「あら、お母さまはいつも年のことを仰言るけど、そうじゃないんですの。戦争がすんだばかりで……だから、結婚には早いと思いますの。」
 そこまでゆくと、話はうまく通じませんでした。敏子にとっては、戦後に開けた自由な時代が、結婚などとはどうしてもそぐわない感じでした。殊に筒井直介のような人柄との結婚は、考えられない心地でした。それかといって、今度の縁談を断ってしまえば、あとにまた他の縁談が持ち上るに違いありませんでしたから、今度のを楯に取って、すべての縁談を拒むつもりでした。別に独身主義というのではなく、ただ当分の間、気がすむまで、自由な空気を呼吸したかったのです。そういことが、敏子としては母に説明しにくいのでしたし、母には理解しにくいのでした。
 その
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