竜宮
豊島与志雄
今時、竜宮の話などするのはちとおかしいが、また逆に、こういう時代だから、竜宮の話も少しはしてよかろう。
竜宮といえば、先ず、「浦島太郎」の昔話が思い出される。これは誰でも知ってるもので、ここに梗概を述べるにも及ぶまい。
ただ、注目すべきは、浦島太郎が竜宮の乙姫様から貰ってきた玉手箱のことだ。あの箱を開けたために、三年の月日が三百年の現実に還り、浦島はよぼよぼの老人になってしまった。然し、もしあの箱を開けなかったら、どうだったであろうか。浦島は永く青春を保ち得たであろうか。或るいは竜宮へまた戻れたであろうか。どちらも疑わしい。
このようなことは、然し、この昔話では問題にしないがよかろう。青春や享楽に対する愛惜として、素直に受け取るべきものであろう。
ギリシャ神話のパンドラの匣、浦島太郎の玉手箱、古人は面白いものを考え出した。
*
竜宮に関する昔話はたくさんあるが、そのなかで面白いのは、「くらげ骨なし」だ。これは、海月がその饒舌の罰を受けることが主題であるけれど、面白いのは他の点にある。この話は柳田国男氏も記述しておられるが、広く知られてはいないから、面白い点を中心にして紹介してみよう。
この話では、「浦島太郎」の乙姫様は、もう竜王の御妃になっている。それから、やはり亀が出て来る。
むかし、竜宮の王様の御妃が、お産の前になって、猿の肝が食べたいと、妙なことを言い出されました。その望みを、どうかしてかなえてやりたいものだと、竜王は考えられて、知恵の多い亀を呼んで、相談されました。
亀は承知しまして、はるばる陸地の方へやって来て、海岸の小山で遊んでいる猿を見つけました。
「猿さん、猿さん、竜宮へ遊びに行かないかい。竜宮には、面白い大きな山もあれば、うまい御馳走もたくさんあるよ。行く気があるなら、わしがおぶっていってあげるがな。」
「なんだって、面白い大きな山が、竜宮にあるのかい。」
「あるとも、あるとも。さあ、わたしの背中に乗りなさい。」
猿はうっかりだまされて、亀の背中に乗り、竜宮見物に出かけました。
竜宮に着いてみますと、聞きしにまさる美しい御殿でした。門のところで、猿はちょっと待たされて、ぼんやり御殿の方を眺めていますと、門番の海月が笑って言いました。
「猿さん、なんにも知らないな。竜王様の御妃が、猿の肝が食べたいと仰言るので、お前は連れて来られたのだ。」
猿はびっくりして、これはたいへんなことになったと思いました。けれど、猿も利口です。亀が出て来て、御殿の中へ案内しようとしますと、猿は困ったような様子をして言いました。
「亀さん、とんでもない忘れ物をしてきたよ。うちの山の木に、肝をかけてほしておいたのを、忘れていた。雨でも降りだしたら濡れてしまうだろう。心配だな。」
「なあんだ、猿さん、肝を忘れてきたのかい。それじゃあ、早く取りに行くよりほかあるまい。」
そこで龜は、また背中に乗せて、もとの海岸まで戻って行きました。
猿は大急ぎで、小山の上の高い木に登り、知らん顔をして、方々を眺めています。亀は海の中から催促しました。
「猿さん、猿さん、肝はどうしたかね。」
猿は笑って、大きな声で返事しました。
「海中に山なし。身を離れて肝なし。」
だいたい右のような話だが、この猿の返答は痛烈である。そして話全体が、だいぶ近代的になってるし、動きも多い。漢法薬の店には、現に、猿の肝の乾物を売っている。
*
竜宮に通じてると称せられる洞穴や深淵は、海岸にたくさんある。竜宮は海中にあるとされてるから、それは当然であろう。けれど、山奥にもそういう深淵がある。
群馬県の山奥、といっても、利根川の支流の溪谷だが、沼田駅から丸沼温泉へ行く途中に、吹割の滝という美しい滝がある。日本のナイヤガラとも言われる。河流が拡がって、その大部分は真直に懸崖から落下し、一部は懸崖を廻って反対側から落下している。その滝壺が、竜宮に通じてると伝えられているのである。
むかし、或る日の夕方、一人の馬方が、この滝壺で馬を洗っていました。すると、滝壺の底から、河童が出て来て、馬の睾丸を抜こうとしました
それを見て、馬方はいきなり、河童の首根っこを押えつけました。
「けしからん奴だ。おれの大事な馬の、睾丸を抜こうとしやがったな。殴り殺してやるから、そう思え。」
馬方は握り拳をかためて、河童の頭の上に振り上げました。
河童は首根っ子を押えつけられながら、声をしぼって謝りました。
「許して下さい。どうか許して下さい。つい出来心で、悪いことをしようとしました。許して下さったら、必ず御恩に報います。この世にまたとない珍らしい物を、持って来て差上げます。」
馬方は振り上げてた拳をおろしました。
「なんだ
次へ
全2ページ中1ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング